自己紹介

ローカルバスや汽車で移動し、現地の人が好む屋台飯を食べ、安いホテルに泊まる、お金をかけない旅行を楽しんでいます。 メジャーな観光地よりも、自然と人の暮らしが調和した山村や漁村の風景が好きです。 イソヒヨは磯で見かける鳥ですが、ブログのタイトルにした理由は特にありません。

2011年6月25日土曜日

ブタの耳

近くに中国食材店ができたのでのぞいてみた。

いろいろ面白い食材があったが、「ブタの耳」を見つけた。

「味をつけて煮込んでいるので、4,5mmにスライスして、そのまま食べられる。中国人は、ごま油と胡椒をかけたきゅうりの千切りを添えて食べる事が多い。」との事。





スライスして判ったが、これは中国で何回も食べた事がある。

中国の中華料理屋では、注文した料理ができるまでの間、前菜として冷菜(既に調理済みの料理)をつまみながら待つ。

冷菜には、鴨舌(http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/a8/f1/guifu0408/folder/1497691/img_1497691_52824905_4?1208011322)や蒸し鶏や野菜類など色々あるが、その中にこの食材もあった。

コリコリとした食感で、あっさりしていたので、好んで食べていたが、これがブタの耳であったのかと初めて知った次第でした。




昔、ベトナムのホーチミン市で売られていたブタの耳を見た事があります。

2011年6月22日水曜日

1Q84 その3(チベットにある煩悩の車輪と同じ。本当の愛は車軸に取り付いて動かない。)

青豆さんには深く愛する人が一人いる。今がいつであり、ここがどこであれ、そんなこととは関係なく彼に会いたい。死ぬほど会いたい。

それでも、そこまで好きな相手がいても知らない男とときどきセックスしたくなるんだね。そうすることが必要なの。生身の人間としてバランスをとっておくために。

でもそれによって青豆さんの中にある愛が損なわれることはないんだ。

チベットにある煩悩の車輪と同じ。車輪が回転すると外側にある価値や感情は上がったり下がったりする。輝いたり、暗闇に沈んだりする。でも本当の愛は車軸に取り付けられたまま動かない。


→「チベットにある煩悩の車輪」とは、マニ車の事かと思いますが、マニ車は円筒形で、側面にはマントラが 刻まれており、内部にはロール状の経文が納められており、これを手で回す事によって、お経を唱えた事になるというものです。

中国の九賽溝に行ったとき、川の流れにマニ車の一端を浸け、水車方式で回転させているのを見ましたが、これは水車式自動読経機です。

数千キロ離れた聖地へ、手足の幅ずつ匍匐する五体投地礼のみで、何年もかけて巡礼する人も多い本格派のチベット仏教でもマニ車の如き簡便法が存在するのが面白かったが、時間をかけて唱えてもたいしたご利益があるわけでもないので合理的です。

チベットの山中のお寺でマニ車をガラガラと回す時、確かに何かに思いを寄せたい気分になるが、青豆さんは子供の頃に知り合っただけの遠い人への愛をマニ車の車軸に取り付いて動かないと表現した。

2011年6月21日火曜日

1Q84 その2 (一人で自由にもの静かに生きること)

「責務を伴う立場に立たされることを巧妙に避けながら、かれはこれまでの人生を送ってきた。人間関係の複雑さに絡めとられることなく、規則に縛られることを できるだけ避け、借り貸りのようなものを作らず、一人で自由にもの静かに生きること。それが彼の一貫して求め続けてきたことだ。」

→「一人で自由にもの静かに生きること」を実践する為には、よほど良く考えて処さないと難しいと思われます。

稼ぐ必要がない資産家とか年金生活者であれば、周囲と係わらず一人で静かに生きる事ができるのかもしれませんが、稼ぐ必要がある場合、どんな仕事についても周囲の人にあれこれ言われ、それなりに係わる事になり、「一人で自由にもの静かに生きる」は相当難しい。

へーへーと言われるままに対応するのも腹が立ち不自由、突っ張っても唯我独尊に過ぎず、周囲を無視しても落伍者とか変人と言われるだけです。

「人の事には係わらなくてよい仕事とポジションを選択し、誰にも文句を言わせない成果を上げる。」かなあ?

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チェーホフ 「サハリン島」 からの引用「ギリヤーク人」が面白い。

「彼 らが今にいたるもなお、道路の使命を全く理解していないという一事からしても、彼らが私たちを理解するのがいかに困難か、わかるだろう。道路がすでにしか れているところですら、あいかわらず密林を旅しているのだ。彼らが家族も犬も列を作って、道路のすぐそばのぬかるみを、やっとのことで通っていくのを良く 見かける。」

→ギリヤーク人が道路を見るのが初めてだったとしても、歩いてみればずっと楽に歩ける事が判るはずで、「道路のすぐそばのぬかるみを、やっとのことで通っていくのを良く 見かける。」は信じ難い。

今の我々では想像できない思い、例えば「へんちくりんな道路を歩けば悪霊に取り付かれる」といった想念があったのでしょうか。

2011年6月17日金曜日

1Q84 その1(人間は結局遺伝子のキャリアーに過ぎない)

6月2,3日に、アドバイザーをしている宮城県の大崎市の会社を訪問しました。

東北新幹線の古川駅で降りて、タクシーで町中を走りました。
地震から既に2ヶ月も経っていましたので、傾いている電柱や倒れかかっている古い木造家屋が散見されましたが、大きな被害は無かったように見受けられました。

しかし、ここでも、電気と水の無い日が一週間近く続いたそうです。

夜、 飲み会があり、「辻原登を読んだことがあるか?」、「中国の桃源郷に行った話だったかな。」、「パールザックの大地は本当に面白かった。」、「ラオス で、”パールザックの大地を読んだ事があるかい。” と若いアメリカ人に言ったら ”オブコース、アメリカ人は皆読んでいるよ。”と言われた。」等と、同 年輩の人と柄にもなく文学の話で盛り上がっていた。

若い人に、どんな本を読むの聞いたところ、村上春樹が好きだとの事でした。

村上春樹は世界中で読まれているそうですが、恥ずかしながらまだ読んだことがありませんでしたので、1Q84を読んでみました。

面白いですね。書評とか感想文とかは書けないのですが、気になった文章です。

「服 装や生活様式にいくらかの違いはあっても、私たちがかんがえることややっていることにそれほどの変わりはありません。人間というものは結局のところ、遺伝 子にとってのただの乗り物であり、通り道に過ぎないのです。そして遺伝子は何が善で何が悪かなんてことは考えません。私たちが幸福になろうが不幸になろう が、彼らの知った事ではありません。私たちはただの手段に過ぎないわけですから、彼らが考慮するのは、何が自分たちにとっていちばん効率的かということだ けです。

それにもかかわらず、私たちは何が善であり何が悪であるかということについて考えないわけにはいかない。しかし、私たちの生き方の根本を支配しているのは遺伝子です。当然のことながら、そこに矛盾が生じることになる。」

「私たちが遺伝子の乗り物 (キャリア)に過ぎないとしたら、我々のうちの少なからざる者が、どうして奇妙なかたちを取った人生を歩まなくてはならないのだろう。」

哲学の授業で聞いた、”より良く生きる。” という言葉を今でも覚えています。”遺伝子の単なるキャリアー”と言われれば確かにそうですが。

2011年6月11日土曜日

南紀旅行(芦雪寺の草堂寺、菱垣廻船発祥の富田浦、うつぼ釣り)

5月の連休に紀伊半島を一周しました。

和歌山県白浜町の草堂寺です。



長澤芦雪半年ぐらい滞在して、牛や猿などの斬新な絵を描いた事で有名なお寺です。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%B2%A2%E8%8A%A6%E9%9B%AA


小さな村のお寺で、檀家も少なそうですが、その割には大きなお寺です。

江戸時代には、京都の九条家と一条家の菩提寺であった由、古刹です。






世界遺産の熊野古道の大辺地(田辺より紀伊半島の海岸に沿って串本を経由して那智大社、速玉大社、熊野本宮に行く古道)は、草堂寺の脇を通っています。

ここより、富田坂を越えて日置川に至ります。




地元のスーパーに立ち寄りました。

ケンケン釣り(http://www.youtube.com/watch?v=QHhZxpqJ1bw)で釣った旬の鰹です。

餅のような弾力があり、生臭みがなく、東京で食べる鰹とは全く違います。

鮮度に拠るのか釣り方に拠るのか判りませんが、大変おいしい。

上の方は片身ですが、下の方は1/4身ですから大きな鰹です。



トンボシビ(ビンチョウマグロです)
東京で食べると、クタッとした触感で水臭く、おいしくありませんが、これだけ鮮度が良いと絶対に美味しい。
地元の人が食べている魚は絶対に旨い。



グレとツバスですが、これも旨そうですね。




菱垣廻船発祥の富田川の川口に立ち寄りました。

(江戸時代の1619年(元和5年)に和泉国堺の商人が紀州の富田浦の廻船を雇って江戸へ回航させたのが創始で、多種多様な日常の生活物資を運んだ。寛永期に大坂北浜の泉谷平右衛門が江戸積問屋を開き、菱垣廻船問屋が成立した。)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%B1%E5%9E%A3%E5%BB%BB%E8%88%B9


干潮でしたので、海に流れ出る河口が狭く、向こう岸がすぐそこに見えます。

かつては、この岩の穴にロープを結んで船を係留したのでしょう。
この穴は、手で掘られたようです。



この岩の右端のコブも、船のロープを結わえる為に掘られたようです。



このコブもロープを結わえるものですね。



大正12年の富田浦
(帆船は大正時代に終末を向かえ、富田の造船業も消滅した。)



こんな船で江戸まで、酒やミカンや木材を運んだのだ。
竜骨ではなく平底ですから、300石とかの大きさになるとやばそうですが、相当頑丈な躯体にしたのでしょう。



紀州の富田の磯で鰹の刺身でビールを飲み、秋刀魚寿司を食べて、のんびりする。







ウツボ釣り挑戦しました。
釣具は、拾ってきた古竹に、30CM程のハリスと釣り針を付けたものです。

釣り針に、塩漬け秋刀魚の切り身を付けて、岩の下に差し込みます。

早速、ウツボが釣れました。







ガシラ(カサゴ)も釣れた。


また、ウツボ



またウツボです。




もっと釣れたのですが、餌の秋刀魚がトンビにさらわれたので終了としました。


串本の橋杭岩です。 不思議ですね。



翌日、川口に帰り、インターネットで調べたレシピを参考にして、カサゴとウツボの煮物を作りました。

ウツボの煮物は初めてすが、トロットした白身で旨い。カサゴも当然旨い。



地元の人がウツボを開いて干していましたので、真似をしてみました。



ウツボの干物の完成です。どうやって食べるかこれから研究します。