自己紹介

ローカルバスや汽車で移動し、現地の人が好む屋台飯を食べ、安いホテルに泊まる、お金をかけない旅行を楽しんでいます。 メジャーな観光地よりも、自然と人の暮らしが調和した山村や漁村の風景が好きです。 イソヒヨは磯で見かける鳥ですが、ブログのタイトルにした理由は特にありません。

2012年10月28日日曜日

「どんぶり料理」と「どんぶり(器)」

麺類が好きな人が多いが、私は文句なしに ”どんぶり料理” の方が好きです。

海鮮丼、天丼、親子丼、カツ丼、牛丼、等、どんぶりにご飯を入れ、その上におかずとタレを載せる食べ物は、日本独特のもので、他の国にはありません。
   

   


まぐろ丼や牛丼が、平たい皿にデレッと盛られてきたら、興ざめで、きっと美味しくないと思う。
やはり丼という器に盛られているから、”どんぶりもの”は見栄えが良く旨いのです。
(中国の皿飯やタイのぶっかけ飯は、アルミ等のプレートにご飯とおかずを載せた食べ物ですが、見た目にも洗練されていない。)


スプーンで食べるカレーライス、オムライス、チャーハン、天津飯等は、平たい皿に盛られますが、最近は若干深皿の器に盛られるようになり、丼に近くなりました。
  



カツライス等は、昔は、ご飯とカツがプレートに盛られ、ナイフとフォークで食べていましたが、これは最悪でした。
最近はご飯がお椀に盛られるようになり、箸で食べるようになりましたが、こっちの方がずっと良いと思います。




中国も含め外国では、汁麺(Noodle with soup)は大きな椀で食べますが、ご飯を丼で食べる風習は無いと思います。

欧米人には抵抗があると思うが、大きな丼を手に持ってその縁を口に当て、タレの付いたご飯と具を一緒に食べる事で絶妙な風味が楽しめるのだ。

思うに、日本ではそれぞれの料理に合った器が作られており、その種類は大変多い。
中国も、西欧も器の種類はそんなに多くないのだ。

中国では、丼という字は井戸の中にものを投げ込んだ音を表す字だそうで、日本の”どんぶり鉢”は日本で作られた言葉であり、この字をあてたそうだ。

江戸時代、一杯盛りきりの飲食物を出す店を”慳貪屋(けんどんや)”と言い、そこで使う鉢が”けんどんぶり鉢”とよばれ、”どんぶり鉢”、”どんぶり”となり、丼の字が当てられた。

2012年10月18日木曜日

2012年春旅行 85日目(新鑑真号3日目)  Shanghai to Kobe Ferry, 3rd day

2012年6月4日 晴れ (June 4, 2012   Fine )

今年の花粉回避旅行は、今日が最終日

3月13日に新鑑真号に乗船、3月15日中国上海に入国、雲南方向へ巡遊。
武陵源と郷城ー理塘ー康定の山岳ルートが良かった。

4月10日に成都からネパールのカトマンズに入り、13日間のエベレストトレッキングを愉しむ。ポカラ、ルンピニ等を回って、5月1日陸路でインドへ出国。

エベレストはスケールが大きく素晴らしかった。
ネパールは外国人が旅行しやすい国であり、滞在費も安くつく。また行きたい。

5月1日、インドに入国。
仏教が息の長い世界的な宗教に育った訳を考えながら、釈迦の誕生地(ネパール)、修業地、入滅地等を回った。

最南端のカニャークマリ(コモリン岬)まで南下し、5月31日にチェンナイより出国。


インドでは体重が
7Kg減り、色々強烈な印象もあった。
今のところ、この国にまた行きたいとは思わないが、思いつくままの雑感。

・歴史、遺跡、宗教が濃い国

・シンガポールやマレーシアや香港やフィリピンやベトナム等より以前から、欧米の植民地となったのに、食文化や衣服や宗教等で欧米文化の影響を
全く受けず、唯我独尊、古来の文化・考え方を継続している。
立派ではあるが頑迷固陋、硬直的、古い考えに凝り固まっていると言えない事もない。

・やはり多くの職業は世襲らしい。IT技術者等の最近新たに登場した職業は、世襲の縛りがないので、各階層から寄り抜きの優秀な人材が集まるとの事。

・食堂や市場で働いている人は男性ばかりで女性を見かけない。職業として、外で働いている女性を見たのは早朝の道路掃除婦さんだけ。

・大半のインド人は積極的。(私、或いは日本人がシャイ過ぎるのかもしれない。)
また、よくインドの印象を聞かれるが、常識的なリップサービスで喜ばれる。

・暑かった。(この時期、連日38℃以上)

・ビールが飲め、肉が食べられるレストランはめったに無い。(探すのに苦労する。)

・富裕層のインド婦人は30歳を越えるとものすごく太る。男性は腹ボテになる。

・ほとんどのインド人はベジタリアンであるが、
ヒンドゥー教徒のベジタリアンは、殺生をしていないという理由で、卵と乳製品は食べている。
しかし、チーズやバターをたっぷり使うインド料理はハイカロリーなのだ。

・インドの富裕層の女性はエクササイズしないで、ゴロ寝ばかりしている。(暑いという事情がある)
合わせて、食事がハイカロリーなので太る。

・インドの伝統服(サリー)は運動しにくい。ゾロリゾロリと裾を引きずって歩く。

・外国人ツーリストに近づいてくる人の中に、人を騙そうとする人が多い。(この輩は何処の国にもいるが、他の国に比べて多い。)

・ツアーサービス業者からバスや鉄道の乗車券を買うと、定価の2~3倍請求される。
鉄道駅の窓口で指定乗車券を買おうとすると小一時間並ばされた挙句、フルだと言われる。窓口で並んで待っているのに、係員は長く休憩を取り、威張りくさっているので腹がたってくる。しかし、フルだと言われた乗車券がツアー会社に行くと手に入るのはどうなっているのだ。
・貧乏人の子供の大半は栄養失調で、乳幼児の死亡率が非常に高い。その結果として、平均寿命が65歳と短い。

・漁業資源も牧場に出来る土地もたっぷりある。漁業や牧畜を振興し、
肉や魚の価格を下げ、宗教の戒律も変えて、子供に肉や魚を食べさせれば、乳幼児の栄養状態が改善され、死亡率も減るはずだ。・現在、金持ちの子供は十分に栄養が取れているが、貧乏人の子供は栄養失調になっている。卵、乳製品、穀物、野菜、果物以外は食べてはいけないとする、現在の宗教戒律が貧乏人の子供の栄養失調に関係しているように思うが、金持ちに都合の良い戒律ではないか。


・行きと帰りに乗った神戸ー上海の新鑑真号の船旅は、瀬戸内海、五島列島、東シナ海、長江等の眺めを堪能できる。日本人や中国人との交流も楽しめた。また利用したい。




より大きな地図で Travel route on 2012 を表示


4:50 日の出前
穏やかな瀬戸内海を東に向かっている。
P1230401


2012年10月16日火曜日

2012年春旅行 84日目(新鑑真号2日目)  Shanghai to Kobe Ferry, 2nd day

2012年6月3日 晴れ (June 3, 2012   Fine )

19世紀の上海


1930年の上海租界(外灘(ワイタン)、BUND)
092-001

アヘン戦争をきっかけに、1843年イギリスが上海に土地を租借し、続いて1848年にアメリカ合衆国、1849年にフランスもそれぞれ土地を租借。
娯楽が豊富にあったために「この街を一度訪れたい」と思うような魅力的な街となり、更に
現代的な建物を立て、最新の消費文明を享受した。

豊かになるに従って、さらに多くの外国人が訪れるようになり、中国人も仕事を求めて多数流入し、産み出された莫大な富は上海に
摩天楼を築き上げた。極東一の大都市となり、最盛期には150万人を超える人間が、狭い租界の中に暮らした。
1941年太平洋戦争が起き日本が英米との間に開戦すると、日本軍は共同租界に進駐し、敵国人となった英米人は抑留され、同時に上海租界の繁栄を支えた英米の銀行や企業は閉鎖された。
さらに世界を巻き込んだ大戦となったために輸出入も滞り、経済的インフラストラクチャーを失った上海租界は衰退した。

そして
1943年南京汪兆銘政権が公式に共同租界、フランス租界を接収し租界の歴史は終わりを迎えた。
1945年に第二次世界大戦が終結し日本軍は撤収し、一度いなくなった欧米人たちも上海に戻り始めた。

しかし1949年に
国共内戦で国民党が敗退し、それ以降は上海を中国共産党が支配し、上海租界の繁栄を支えた英米の銀行や企業は再び閉鎖され、全ての欧米人はイギリスの植民地である香港シンガポールをはじめとする国外へと逃げ去った上に、全ての資産は中国共産党に接収された。



10:04 (今日から日本時間、上海を出港して19時間経過)
東シナ海を航行、何も見えない。
084

2012年10月15日月曜日

2012年春旅行 83日目(新鑑真号1日目)  Shanghai to Kobe Ferry, 1st day

2012年6月2日 晴れ (June 2, 2012   Fine )

12時30分に出港する神戸行きの新鑑真号に乗る為に、朝、蘇州から上海に移動し、上海港国際客運中心碼頭(上海港フェリーターミナル)に向かう。

上海港フェリーターミナルは、上海中心部の外灘(ワイタン、がいたん(日本発音)、英語The Bund)にある。

7:55
蘇州から上海への高速道路は、かつて時間帯によってはひどく渋滞したが、今は片道4車線となった。
(バス代32元)
この沪宁高速道路の沪(滬)は昔の上海、宁(寧)は昔の南京との事。
022-001


11:19 市内を走るバス
上海で市内バスに乗った記憶がなかったので、この写真を何処で写したか思い出すのに苦労したが、イミグレーション(出入国審査場)を通った後、このバスに乗って、少し(500m程)川下の埠頭に移動したのだった。
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11:35 新鑑真号に乗船
舳先を上流に向けて停泊している。
上海港フェリーターミナルは、正面に停泊している船の右側に小さく見える青緑色の低いドームの建物。
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2012年春旅行 82日目(杭州から蘇州) China Hangzhou to Suzhou

2012年6月1日 晴れ (June 1, 2012   Fine )

昨晩は、杭州火車駅の近くの安宿に泊まった。

3月に蘇州に立ち寄った時、友人が土産を用意してくれていたが、帰りに寄るからと預けておいた。
今日はそれを取りに蘇州まで行き、蘇州泊。

明日の朝、上海に移動し、上海港を11時半に出航する蘇州号で日本に向かう。
蘇州号は電話で予約したが、100元で買った携帯電話がそれなりに役に立っている。

大きなホテルのフロントで蘇州への行き方を聞いたところ、火車が良いと言うので、杭州火車駅に行った。

蘇州行きはあることはあったが、上海経由の列車だし、本数も少ない。
中国のホテルのフロントには、英語が話せるだけで雇われている、他の地方出身の若い娘さんが多い。
彼女たちは、ほとんど旅行の経験がないし、大概地理や交通に詳しくないのだ。

数年前、4星のホテルのフロントで、武漢行きの列車を調べてもらった事がある。
色々調べてくれたが「武漢という駅は無い。」という事で終わった。

今は動車(新幹線)の武漢駅ができたが、当時は武昌駅と漢口駅しか無かったのだ。
一部のビジネスマンは別にして、普通の中国人は旅行する機会がほとんど無く、地理的な事を知らない。
また、中国は日本が10個集まった規模の国なのだ。

バスで行くことにしたが、教えられた長途汽車南駅には蘇州行きが無く、長途汽車北駅に回って11時の蘇州行きバスに乗る。(73元)



11:32 
高速道路からの風景は、やはりインドと違う。バスの窓も色ガラスが使われている。
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2012年10月13日土曜日

2012年春旅行 81日目(マハーバリプラム) India Last day

2012年5月31日 晴れ (May 31, 2012   Fine )

I leave India today.

I stayed in India for 31 days. Meanwhile, I was asked about the impressions of India  many times.
My usual answer in such a case was  "India was good country", by lip service.

In India, the history, remains and religion were impressive.
But my honest impressions of India, I don’t like India.
 Because,


 *too hot(hot days 
 more than 38 degrees continued every day)

 *difficult to look for 
the restaurant which serves non-vegetable food.

 *difficult to look for the restaurant which serves liquor.
 
 *every towns are dirty and noisy.

 *difficult to buy train ticket 
 at the station ticket counter.   in addition, travel companies charge high prices to the foreigner who does not know a market price.

 *there are many liars among Indians.
 I was deceived and lost 100 USdollars
 In India, there are good people, but there are a lot of untrustworthy people.
  
There is much frequency that these untrustworthy people come into contact with a foreign tourist.

 *a lot of power cuts, 
air-conditioner was not usable every day
 *In this 31-day trip of India, my weight decreased by 7 kg


 

「タクシーが来ている。」 と、5時に起こされた。

起こしてくれた宿の息子さんとお別れをして、迎えの車に乗り込む。
っこちらはパトカー仕様のアンバサダー。
この車は、イギリスのモーリス・オックスフォードIIIが原型となったライセンス車アンバサダーで、1948年よりインドのヒンドゥスタン・モーターズ社で生産されている。
本家が生産をやめた後も、インドでは綿々と造り続けられているのだ。


1時間ほどで、チェンナイ空港に着いた。

インターネットで予約・購入しているが、予約書を印刷していない。
チェックインカウンターがある部屋には、チケットか予約書を見せないと入れてくれない。
予約書を印刷していない人も結構いるので、それぞれのフライトの乗客リストを取り寄せて、予約NOと名前を確認してやっと入れてくれた。

2012年10月11日木曜日

2012年春旅行 80日目(マハーバリプラム) India Mahabalipuram

012年5月30日 晴れ (May 30, 2012   Fine )

マハーバリプラムは、ベンガル湾に臨むかつての港湾都市。古名はマーマッラプラムチェンナイ(マドラス)の南約60キロメートルに位置する。

4世紀から9世紀にかけて、内陸のカーンチプラムにはパッラヴァ朝の首都がおかれていた。
その東65キロメートルに位置し、ベンガル湾に臨むマハーバリプラムは、6世紀以降、パッラヴァ朝における東西貿易の一大拠点として栄え、町には数多くのヒンドゥー教寺院が建立された。


5月31日の早朝に、チェンナイからクアラルンプール行きの飛行機に乗るので、今日はインド最後の夜となる。
(チェンナイ8:30発→KL14:55着、 KL17:20発→杭州22:20着)

午後、バス1時間のチェンナイに移動しようと考えていたが、明日の早朝、タクシーでチェンナイ空港へ行く事にした。

宿でタクシーの事を聞いてみたところ、うちにも車がある、1000Rs前金との事。
1000Rsはちと高いし、タクシーは降りた所で払うものだと思ったが、暑いのでネゴするのも面倒になり、前金で払った。

ここは、チェンナイに近く、シーズンには外国人の観光客も多いらしく、フィシュフードが食べられるし、ビールも飲める。
しかし、連日38℃を越える暑さで食欲がなく、コーラと水とフルーツばかり食べている。 


朝、海岸を歩く。

8:00
この先に海がある。
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ビーチ北側
121

ビーチ南側
左に突き出た所に海岸寺院がある。(世界遺産)
昔はこの海岸沿いに、他の海岸寺院もあったが、波に流されて今はこの寺院しか残っていない。
今は、テトラポットを投げ込んで、しっかりと護岸している。

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2012年10月9日火曜日

2012年春旅行 79日目(ポンディチェリーからマハーバリプラムへ) India Pondicherry to Mahabalipuram

012年5月29日 晴れ (May 29, 2012   Fine )

ポンディチェリーのバスターミナルで、マハーバリプラム行きのバスを聞いて乗り込む。

8:00
出発直後は、こんな状態であったが、どんどん乗客が増えて、通路も立っている人で満杯となる。

隣の人に、「このバスは、マハーバリプラムが終点か。」と聞くと、「違う。チェンナイまで行く。」との事なので、マハーバリプラムに着いたら教えてくれと頼んでおいた。
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8:15 塩田
073

「アルジュナの苦行」 (「ガンガーの降下」とも言われる)
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「クリシュナのバターボール」
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2012年10月8日月曜日

2012年春旅行 78日目(クンバコナムからポンディチェリーへ) India Kumbakonam to Pondicherry

012年5月28日 晴れ (May 28, 2012   Fine )

数学者ラマヌジャンの出生地クンバコナムは、ヒンズー教寺院が立ち並ぶ門前町であった。
朝、一回りしただけであるが、先を急ぐことにした。

ホテルで教えてもらったが、路線バスを乗り継いで北上すると次のルートになる。

クンバコナム(Kumbakonam)
  ↓
チダムバラム(Chidambaram)
  ↓
ポンディチェリー(Pondicherry)
  ↓
マハーバリプラム(Mahabalipuram)
  ↓
チェンナイ(Chennai)


今日は、チダムバラム(Chidambaram)で乗り換えて、ポンディチェリーまで行く。

チダムバラムは、12世紀建立のナタラージャ寺院がある小さな町。056インドの大半ははイギリスの植民地であったが、軍隊を置かない事を条件にフランスの植民地が認められ、所々にフランス領が点在した。
ここ
ポンディチェリーは17世紀から18世紀にかけてフランス領インドの首府。
その後も、1
954年にインドに返還されるまで、フランス領として存続し、当時建造されたフランスの商館や公館が今も残る。
061

2012年10月6日土曜日

2012年5月28日 晴れ (May 28, 2012   Fine )

インドに入国した頃、インドについての情報を何も持っておらず、何処に行きたいといったアイディアも無く、行き先を決めかねていた。

その時、友人が次のようなメールをくれた。
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「数学者の藤原正彦(新田次郎の息子、「国家の品格」の著者)が、20世紀初頭の天才的数学者、シュリニバーサ・ラマヌジャンのことを紀行文風に書いている(多分「心は孤独な数学者」という文庫だったと思う)が、南インドのクンパコナム出身らしい。藤原は{数学者は美しいものに憧れる/数学は美しい/天才的な数学者が生まれ育った環境は自然と調和していて美しいはずだ}という哲学をもっていて、南インドを訪れたらしい。インドに到着した当初は余りの雑然さにがっかりしたそうだが、クンバコナムの生まれた村に行くと、ヒンズー教寺院を含めたいへん美しい環境で、感激したと書いている。
旅程と治安のことは判らんが、可能であれば行ったらどうですか。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

藤原正彦氏の寄稿(http://rainy.seesaa.net/article/421077.html)は、

天才を輩出する地域に共通する土壌として、次の三つの条件を挙げ、

 
1)自分を超えた大いなるものに対しての「ひざまずく心」
2)
「精神性を尊ぶ」である。
3)
「美の存在とそれを尊ぶ伝統」である。
そして、
ラマヌジャンが生まれたこの地方について、インドはお世辞にも美しいと言えない所だが、この地方は例外である。ここは10世紀後半から3世紀間、チョーラ王朝が栄えた地帯で、美しい寺院が数え切れないほどある。」と書いている

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美に対する感覚は個人差があり、何を言っても間違いという事はないと思うが、私の目に映った
クンバコナムは氏のような感慨(美しい町だ。この美しさが天才を生む土壌だ。)を得るような町ではなく、普通の町でした。

物書きは、人目を引く表現でなければ稼げないようで、
概して物事をオーバーに書く。

また、
藤原正彦氏は、ある種の着想(観念)について、その着想が正しいと思われるような事だけを書き並べて、その着想に否定的な事象には目を閉じて、強引に話を誘導するところがあるように思われる。

氏の「天才を生む土壌」3条件に該当する町なのに、天才を生んでいない町が万とあるはずだし、汚い町で生まれた天才も大勢いるはずだと思う。

その人の素質、教育環境、課題選択、ひらめき、周囲の環境、等、複雑な要素の組み合わせで、めったに無い大発見がたまにあり、
何億人に一人という天才がたまに出現するのだと思う。
天才を生む土壌と一言で言えるようなものではないし、或いは何とでも言えるものなのだ。


6:48 早朝、クンバコナムの街を散策
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6:49
他の町より少しはましであるが、道路にゴミが投げ捨てられている。
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6:53
Nageswaran Templeの塔門
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6:54 寺院の境内
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2012年10月3日水曜日

2012年春旅行 77日目(マドゥライからクンバコナム) India Madurai to Kumbakonam

2012年5月27日 晴れ (May 27, 2012   Fine )

2010年のインド人の平均寿命 ( Indian average life span of 2010)

      全体(Total)   男(Man)   女(Female)  Man/Female
India     65         64          67       95.4
Thailand   74                 71                     77                91.3
China         74                  72                      75                95.4
Japan         83                  80                     86                92.2

この数字から(from this value)

1)インド人の平均寿命は短い。
 (The Indian average life span is short.)

2)インドでは乳幼児の死亡率が高い(他のリポートより)
 (The death rate of infants is high. (from the other report))

3)インドでは平均寿命の男女格差が小さい。(Gender gap of the life is small in India).
  →女性の寿命が短い。(The life span of the woman is short.)
  →女の乳幼児の死亡率が、特に高い。(Particularly, the female infant mortality rate is very high.)
 

余計なお世話と言われると思うが、インド人の食事には問題があるように思う。慣習や宗教的な理由によるものだと思うが。
( I think Indian meals have problems. Probably it will be caused by religious precepts.)

 1)貧困層の食事は、カロリー不足。たんぱく質不足。その他の栄養も足りない。
     ( for the meal of the poor, lack of calorie, lack of protein. lack of other nourishment.)
 
  2)富裕層の食事はカロリー過剰、肥満による病気の罹患率が高い。
    (for the meal of the wealthy class, too many calories. many people getting sick caused by the obesity.)

6:30 Leave Madurai

7:35
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2012年10月2日火曜日

2012年春旅行 76日目(カニヤークマリからマドゥライ) India Kanyakumari to Madurai

2012年5月26日 晴れ

5月1日、何処に行くのか、何処に行きたいのか、全くアイディアを持たずに、ネパールから陸路でインドに入った。

東に向かうか西に向かうか思案したが、最南端まで行く事に決め、25日間かかって昨日コモリン岬に到着した。

これより先が無いという所まで行ってみたいとする欲求は、自然で判り易い。
本州の東西南北の最端は行った事があるが、日本の最端となるとお金がかかりそうで行けるかどうか。
ちょとレベルが違うが、素粒子研究や最高峰登頂の発意も似たようなものかも知れない。

旅の途中、インドを一周した事のある友人が、「ハンピとコヴァーラルビーチが良かった。」とメールでアドバイスしてくれた。両所共、このルートの途中にあったので訪れる事ができた。

また、別の友人がメールで教えててくれた藤原正彦の寄稿「天才を生む土壌(http://rainy.seesaa.net/article/421077.html)」に、天才数学者ラマヌジャンを生んだクンパナコムは美しいと紹介されているので、この後クンパナコムへ行き、その他のインド南東の町々も回ってチェンナイまで行く事にする。

今日は、マドゥライまでの移動。
路線バスを乗り継いで行く事もできるが、13時発の直通バスがあったので、昨日予約していた。

より大きな地図で Travel route on 2012 を表示


朝、海岸に下りて、漁港を散策。

7:56
網を繕う男達の後方は、ヴィヴェーカーナンダー像。

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2012年9月30日日曜日

2012年春旅行 75日目(カニヤークマリ、カンニヤークマリ) India Kanyakumari

2012年5月25日 晴れ 

コバーラルビーチは、旨い魚が食えるし、ビールも飲めるので長居をしたかったが、5月31日の出国フライトを予約したので、カニヤークマリに移動することにした。


8:57
コバーラルビーチを後にする。
飛んでいるのはカラスであるが、日本のカラスより小ぶりで首筋が白っぽい。
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9:30 出発


9:48
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90Km程の距離であるが、あちこちで停車するので3時間かかり、12時半頃、カニヤークマリに到着。

15:47 ヴィヴェーカーナンダー像
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19世紀末ヒンドゥー教の改革者ヴィヴェーカーナンダーが、この島に泳いで渡り、3日間インドの過去、現在、未来について沈思黙考したそうだ。

こういう場所で瞑想したので悟りを開いたという事ではないと思うが、宗教リーダーはパフォーマンスが必要なのだ。

<ヴィヴェーカーナンダーの教え(切り取り引用で真偽は判らない)>
1)宗教の教義上の違いは矛盾ではなく、1つの真理に対する異なった
  アプローチである。
 それらは違いにより補い合う。1つの教義に真理は収まりきらない。
 多様な宗教の全体が真理であり、仏教、キリスト教、イスラム教、
 ヒンドゥー教等の全ての宗教全体が神の啓示である。

2)人間にとって魂の探求、神の光の探求ほど多くのエネルギーを
  費やさせるものはない。
  なぜ宗教が大きな力を持つのかといえば、無限という理想を宗教の中に
  宿しているからだ。

  感覚界のなかで無限という理想を求めても必ず挫折する。例えば無限の
  感覚的快楽など不可能である。
  
  無限という理想は超感覚の世界の中に見出される。
  ヴィヴェーカーナンダは、あらゆる宗教に共通な要素は感覚の限定を超えようと
  する努力だという。

  自然の背後に働く大いなる力を見るのも、先祖の霊魂を崇拝するのも、
  霊の啓示を受けるのも、悟りを開いて永遠の法則を理解するのも、
  超感覚的なものに対する関わりだ。

  宗教の対象は絶対あるいは無限であるがゆえに人間の理性や感覚に収まりきらない。
  物質に留まることもない。

3)感覚の限定を超え、無限なるものと合一するのが最高の理想なのだと彼は主張する。
  そしてその合一のための手段として彼はヨーガを提唱する。

保守的なヒンズー教徒から攻撃されたそうであるが、排他的唯我独尊の宗教と
 違って、良い事を言っている。
 ヨーガとは何ぞいと言う事になるが、今の私には興味がないので、おしまい。

2012年9月29日土曜日

2012年春旅行 74日目(コヴァーラムビーチ) India Covalam Beach

2012年5月24日 晴れ 

このビーチとこの宿は、他より良さそうなので少し長居をしようと考えているが、インド最南端のカニヤークマリにたどり着くのがこの旅の目的であったので、日帰りで行くことにした。
カニヤークマリへの直通バスが日に2本あると聞いている。

発車時刻になってもバスが来ない。
他のバスを待っていた周りの人が、「今日はストライキでバスが来ないが、待っていれば来るかもしれない。」というので、30分程待ったが来ない。
しかたがないので、終日ビーチで遊んだ。
ビーチは、暑いが心地よい風が吹いた。

11:03
001

11:05
地引網を引きだした。
004

11:33
30分かかって、やっと引き上げた収獲。
022

2012年9月28日金曜日

2012年春旅行 73日目(アレッピーからコヴァーラムビーチへ) India Alleppey to Covalam Beach

2012年5月23日 晴れ 
 
今日は、アレッピー(アラップーザー)からコヴァーラムビーチ(ティルヴァナンタプラム)への移動。


より大きな地図で インドのバックウオーター地域 を表示

アレッピーのバスターミナルでコヴァーラムビーチ行きのバスを尋ね、教えてもらったバスに乗る。
バスは、8時45分に出発し、4時間かかって終点のバスターミナルに着いた。

しかし、そこはビーチではなく大きな町であった。

この町は、ティルヴナンタプラムという町で、コヴァーラムビーチ行きのバスは、ここから15分ほど歩く別のバス乗り場から出る、という事が判る。


14時20分頃、コヴァーラルビーチに到着。
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コヴァーラムビーチに着いた後、ビーチのレストランで、魚のフライ(250Rs) とビール(150Rs)を注文。
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ビールは新聞紙に包んでもってきたが、机の上に置かずに、砂の上に置いてくれと言われた。
インターナショナルなリゾートビーチといっても、おおっぴらに酒を飲ませるわけにはいかないようだ。

「宿を探すので、しばらくザックを置かしてくれ。」と頼むと、あるホテルに連絡したらしく、ホテルの人がやってきた。

「ザックを持って来い。」と言っていたが、「貴方の所も見せてもらうが、他も見てから決めるのでここに置いておく。」と言ってついて行く。

このホテルの他、3つのホテルを見て、エアーコンディション付き850Rsのこの宿にする。

きれいな部屋で、親切な人達だったので、良い宿であった。
ただ、サーバーが不調でインターネットは接続できず。
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2012年9月27日木曜日

2012年春旅行 72日目(アレッピー) India Alleppey

2012年5月22日 晴れ 

コーチンから南の西南海岸一帯は広大な水郷地帯でバックウォーターと呼ばれる。 

バックウォーターはかつては汽水だったが、ヴェンバナ湖のThanneermukkomに堰を作り、ここから北側は汽水、南側は淡水となった。

アラップーザー(旧名アレッピー)は、コーチンの南45Kmにある海岸沿いの町で、ここからバックウォータークルーズが出発する。


昨夜ホスペットを出たバスは、早朝4時30分にコーチンに着いた。

コーチンも見所の多い所であるが、先を急ぎたい気分であり、このバスターミナルでインド人に教えてもらったアレッピー行きのバスに乗り込む。

発車後、車掌に聞くとこのバスは アレッピーには行かないと言っている(らしい)。
どこに行ってもよい旅なので気にしてなかったが、「途中の何とかというバスストップにアレッピー行きのバスが来るから、そこで乗り換えろ。」と言っている(らしい)ので、言われた所で降りる。

この新しいバスストップは若干大きな乗り換え駅のようで、案内所があり、英語でアレッピー行きのバスの発車時刻と乗り場を教えてくれた。

インドの夜行バスに乗ると、夜明け頃、バスが休憩停車した時に、水を入れたペットボトルを持って原っぱや畑に散らばり用をたしているが、この新設されたバスストップには有料の水洗トイレ(5Rs)があった。


7;30
1時間程でアレッピーに着き、歩きながら宿を探す。

7:50
川沿いの道から小道を300m程入ったところにあったゲストハウスは、クーラーもありインターネットもできるというので、ここに決める。750Rsと高くない。
(外国の家は、一般的に部屋毎にバスとトイレが付いているので、このような住宅の一部を貸し部屋にできる。)
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これから、コバーラルビーチ、インド最南端のコニャックマリ、インド東南側のいくつかの町を回ってチェンナイに行く事にし、出国日を5月31日に決める。

AIR ASIAの飛行機代は出発日近くになってから買うと高くなるので、5月31日のチェンナイから杭州行きのフライトをインターネットで予約。


その後、バックウォーターの観光クルーズに乗ろうとしたが、乗り合いの船は無かった。

小船をチャーターしないかとの誘いもあったが断り、地元の人の生活用の船でコッタヤムへ行って帰ってくる事にした。
(片道5Km)

アレッピーからコッタヤムへの航路

より大きな地図で インドのバックウオーター地域 を表示



11:45 出発
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分厚い英語の本を読んでいた、一番前に座っている人は、女性がIT技術者で、男性は学校の先生。

後で話しかけてきたので、バスや飛行機のチケットの上手な買い方を教えてもらったり、色々話をしたが、インドの印象を聞かれた時、いつもはリップサービスをするのだが、この時はどういう訳か「ビギナーの外国人には旅行しにくい国だ。騙す人が多い。ビールが飲めないし肉も食えないのが困る。」などと正直な印象を言ったところ、「俺は肉を食べるし、酒も飲むよ。」と言って、離れていった。
やっぱり、リップサービスで褒めまくるまくるべきなのだ。

2012年9月24日月曜日

2012年春旅行 71日目(マイソール) India Mysore

2012年5月21日 晴れ 

昨夜ホスペットを出たバスは、早朝マイソールのバスターミナルに着いた。

荷物をbaggage room(手荷物一時預かり所)に預け、 マハーラージャ宮殿に行こうとした。
何処かで磁石を 失くしたので、地図はあるが方向が判らない。
しかたなくタクシーに乗ったが、運転手はインド語で何か言っていた。
着いて判ったが、「この時刻は未だ開門していない。」と言っていたようだ。

マハーラージャ宮殿は、マイソール藩王国の宮殿で、1897年から16年かけて完成。
イスラムとヒンズーの様式がうまく融合したインドサラセン様式の建造物との事。

現マイソール州 は、かつてはマイセール王国であったが、イギリス植民地軍との 1767年から1799年までの何度かのマイセール戦争で結局負け、旧王家を藩主としたマイセール藩王国となり、イギリス(東インド会社)の間接支配下となる。

マイセール藩王国は、1947年のイギリス独立で消滅し、この宮殿は国の博物館となった。


7:43
マハーラージャ宮殿 の入場門
(宮殿の正面に大きな正門があるが、この門はサイドにある門)
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(無断で勝手に)少し入らせてもらって、綺麗な宮殿を写す。
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2012年9月23日日曜日

2012年春旅行 70日目(ハンピ) India Hampi

2012年5月20日 晴れ 

午前中、 トゥンガバドラー河沿いを下り、アチュタラヤ寺院(achyutaraya temple)とヴィッタラ寺院(Vitthala temple)を回った。
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石の建造物を作るには、膨大な労力と時間がかかったはずだが、今に残っている。

おそらく、これらを作った石工たちは、自分達のこの仕事が永久に残り、後世の人にずっと見てもらえるという意識があったと思われる。
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見ていない遺跡は未だあるが、あまりにも暑いので、午後はいささか風が通るレストランで、単行本を一冊読み終える。 

ビールは飲めないし、遺跡は飽きたので、早々にバスでホスペットに移動。 
(ホスペットからマイソールへ行く今夜のバスチケットを昨日買っている。) 

ところが、ホスペットのバスターミナルの窓口でこのチケットを見せると、「このバスは今夜は出ない。ここでは払い戻しできないので、買った店へ行って払い戻しをしてもらえ。」と言い、このチケットにその旨書いてくれた。
運行表を見ると、 マイソール行きの夜行バスは他にもあるのでそれに乗れる。

ハンピからホスペットへの最終バスは18:30、なんとか間に合うのでハンピに引き返し、払い戻しを申し出ると「最初はそんな事はない。誰がそんな事を言った。」と言っていたが、バス会社の人が書いてくれたコメントを見て、払い戻しをしてくれた。

ちなみに、 ハンピのツアーサービス店で買った、ホスペットからマイソールへのバス代は、650Rsであったが、ホスペットのバスターミナルの窓口で買い直したバス代は459Rs.

こういう事が続いたが、インドでは乗車券をバスターミナルの窓口で、当日買うべきなのだと、また思い知る。

2012年9月22日土曜日

2012年春旅行 69日目(ハンピ) India Hampi

2012年5月19日 晴れ

ゴアから西海岸沿いに南下する事も考えたが、以前、インドを一周した友人が、インドの中では、ハンピとコヴァーラルビーチが良かったと言っていたので、少し内陸の14世紀から16世紀に南インドのヒンズー王朝の都であったハンピに行くことにし、昨夜、ホスペット行きの夜行バスに乗った。

ホスペットには早朝5時30分に着いた。

オートリクサーの運転手が寄ってきて、「姉さんがやっているゲストハウスに泊まってくれると ハンピまで無料で乗せる。ハンピ行きの始発バスは6時半だから、・・・。」と言ってきたので、そのオートリクサーに乗った。

6:20 
ハンピへ行く道中、周辺は サトウキビ畑やバナナが畑。
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6:23 ハンピへの途中、丘の上にあった遺跡。
正面奥に見えるのがヴィルーバークシャ寺院の塔門。
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