自己紹介
- イソヒヨ
- ローカルバスや汽車で移動し、現地の人が好む屋台飯を食べ、安いホテルに泊まる、お金をかけない旅行を楽しんでいます。 メジャーな観光地よりも、自然と人の暮らしが調和した山村や漁村の風景が好きです。 イソヒヨは磯で見かける鳥ですが、ブログのタイトルにした理由は特にありません。
2016年12月19日月曜日
2016年12月16日金曜日
草堂寺(和歌山県白浜町)の絵画 その3
長澤芦雪 鍾馗図
個人蔵 草堂寺蔵
陶淵明と陸修静 慧遠 東林寺
長澤芦雪 焚経図
禅宗の根本理念の「不立文字」を表しているが、お経を焼いている。
個人蔵 草堂寺蔵
鍾馗像 部分
個人蔵 草堂寺蔵
個人蔵 草堂寺蔵
本堂上間二之間 虎渓三笑図
虎渓三笑図
虎渓三笑の話は、東晋の時代の話です。
東晋の時代(317~417年)、中国の名山の一つである廬山にある東林寺で慧遠(えおん。生没年:334~416年)という名前のお坊さんが隠居していました。慧遠は隠居したからには俗世間とは関わりを持たないようにしようと思って、ふもとを流れる虎渓を決して越えないと固く誓いました。
ある日、慧遠の友人である陶淵明と陸修静が遊びに来ました。楽しい時間が過ぎて、とうとう2人が帰る時刻になりました。そして、慧遠は虎渓にかかる橋の手前まで見送ることにしました。
3人は楽しく話をしながら、山を下りました。あまりにも話がはずんだので、3人が気づいた時には虎渓の橋を渡ってしまってました。慧遠と陶淵明と陸修静の3人はともに大笑いしました。
こうして生まれたのが「虎渓三笑」という言葉です。
あれほど虎渓の橋の向こうには行かないと固く決心していた慧遠でも、友人と話し込んでいるうちに、気がついたら虎渓の橋を渡ってしまっていたのです。虎渓三笑の話は、東晋の時代の話です。
東晋の時代(317~417年)、中国の名山の一つである廬山にある東林寺で慧遠(えおん。生没年:334~416年)という名前のお坊さんが隠居していました。慧遠は隠居したからには俗世間とは関わりを持たないようにしようと思って、ふもとを流れる虎渓を決して越えないと固く誓いました。
ある日、慧遠の友人である陶淵明と陸修静が遊びに来ました。楽しい時間が過ぎて、とうとう2人が帰る時刻になりました。そして、慧遠は虎渓にかかる橋の手前まで見送ることにしました。
3人は楽しく話をしながら、山を下りました。あまりにも話がはずんだので、3人が気づいた時には虎渓の橋を渡ってしまってました。慧遠と陶淵明と陸修静の3人はともに大笑いしました。
こうして生まれたのが「虎渓三笑」という言葉です。
陶淵明と陸修静 慧遠 東林寺
陶淵明と陸修静
慧遠 東林寺
長澤芦雪 栽松図
禅宗五祖弘忍の前世である栽松道者
禅宗五祖弘忍の前世である栽松道者
長澤芦雪 焚経図
禅宗の根本理念の「不立文字」を表しているが、お経を焼いている。
長澤芦雪 龍・仙人図
2016年12月12日月曜日
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