自己紹介

ローカルバスや汽車で移動し、現地の人が好む屋台飯を食べ、安いホテルに泊まる、お金をかけない旅行を楽しんでいます。 メジャーな観光地よりも、自然と人の暮らしが調和した山村や漁村の風景が好きです。 イソヒヨは磯で見かける鳥ですが、ブログのタイトルにした理由は特にありません。

2018年11月15日木曜日

熊野古道Ⅱ (継桜王子から熊野本宮)

2018年11月4日 熊野古道2(継桜王子から熊野本宮)
今日は熊野本宮に車を置き、バスで野中一方杉まで戻り、継桜王子から熊野本宮までを歩く
地図(継桜王子から三越峠)
地図(三越峠から熊野本宮)
<コースタイム>
8:05   バス乗車(熊野本宮)
8:58   バス降車(野中一方杉)
10:10-25 熊瀬川王子
11:25-35 岩神王子
12:37-47 湯川王子
14:30-40 発心門王子
15:40-50 水吞王子のちょっと先
16:35    本宮大社
前回の滝尻から継桜王子は5組10人程(全て欧米人)の方が歩いていたが、ここ(継桜王子から熊野本宮)はフランスから来た若い女性二人にしか会わなかった。
彼女たちは、「湯峰温泉に泊まるが、湯峰に下りる赤木越え道が通行止めになっているので、熊野本宮まで行ってから湯峰温泉に行く」と言っていた。
日没時刻となりバスも無いので、彼女たちを車で湯峰温泉まで送った。
最初、道を間違えて引き返したが、彼女たちはアイフォーンの地図を見ながら、道を教えてくれた。
その後、帰宅。

7:36 熊野本宮大社
野中まで戻るバスの発車時刻が8時5分なので待ち時間が十分あり、今日の終点場所の熊野本宮に参拝。











8:58 野中一方杉バス停(バス下車)

9:20 とがの木茶屋(継桜王子のそば)
トガは栂(ツガ)の事です。モミに似ている葉を持つ針葉樹ですが、成長が遅いので建材用としては植林されていない。
昔は天然の栂(ツガ)が建材(柱用)として利用されていた。アメリカから輸入した米ツガは安いが、日本の天然の栂は硬くて高級銘木。
天然の栂やケヤキの柱は、お寺や古民家で今でも見られる。















9:24 
この辺りの熊野街道沿いには人家があるので、熊野古道は車が通るアスファルト道になっている。













小仏峠まで、この辺りの熊野街道は山の南面斜面の中腹にあり、日当たりが良く見晴らしも良い。最近作られた国道は谷底を通っている。






















10:03 ここが現在の熊野古道の小仏峠となる。











10:04 峠を越えてすぐに、本来の熊野街道に入る。











街道は古道の雰囲気が残っているが、杉林の中を歩くことになる。





















10:10-25 熊瀬川王子











杉林の中を歩くことになるが、熊瀬川王子には広葉樹が少し残っていた。





















10:37 草鞋峠(標高592m)
小仏峠、草鞋峠(わらじ峠)、岩神峠と上り下り、峠越えが続く。
























10:53 
熊瀬川王子を下った所に林道があり、ここから湯川王子までの熊野古道は通行禁止で、迂回路を歩けとの標識があった。
「平成23年9月の台風12号により・・」と書いているので、7年も前から補修しないで通行止めにしているようだ。
誰がこの道を維持・管理しているのか、誰がこの看板を立てたのか、知らない事が多い。
多分、熊野古道の土地は個人の所有か、あるいは入会地であろう。
が、熊野街道は公道として利用されてきたので、所有者が突然立ち入り禁止にすると言った事はできないのだと思う。
この道のメンテナンスは、昔は利用していた地元の方がやっていたのだと思うが、現在は地元の人は利用していない。地元の人が好意でそれなりにメンテナンスしていたのだと思うが、高齢化もあり、他所の人に歩いてもらう為の労働奉仕はできなくなったのだと思う。
田辺市のホームページを見てみたが、世界遺産となった熊野古道を活用して観光客を呼び込むといった計画は何頁も書かれており、広報には人的資源も金も投入しているようだが、古道のメンテナンスを誰がするのかとか予算処置については触れていない。歴史文化的景観保全条例で、木の伐採や看板の設置や建築は届出が要るとの規定はあるが、 崩壊した道を誰が修繕するのか、だれが管理するのかといったことは何も書いていない。















7年間も人が歩いていないので、古道の上に枯れ枝や石ころが積もっている。

11:25-35 岩神王子(岩神峠)
ここまで地滑りのような場所はなかった。











岩神峠の東面(本宮側)は、杉の木が伐採されていた。











古道の部分にネットを張っていた。













熊野古道は雨水で流されていた。

葉樹を伐採すると根も枯れるので、伐採後に大雨が降ると道が流される事は自明の理である。
ここの森林の所有者は届けを出して許可されたので、木を伐採したのだと思うが、熊野古道を破壊する結果となった。歴史文化的景観保全条例の趣旨に反する結果になった訳だが、責任は浅慮な田辺市と市長にあると思う。 の熊野街道は薪炭樹林(くぬぎ,なら,うばめかし,山桜等)の中にあったと思う。街道周辺は入山し易いので、10年程の周期で薪用に伐採されていたと思うが、薪炭木は伐採されても根は生きており、大雨が降っても山の斜面や古道は崩れない。
熊野詣が廃れた後も熊野古道がしっかり残っていたのは、熊野街道が針葉樹林ではなく、薪炭樹林の中に作られていた為であろう。



















針葉樹林は、伐採した後の大雨で斜面が崩壊し、或は道が流されるので、伐採した後は薪炭樹林(くぬぎ,なら,うばめかし,山桜等)に戻した方が良いと思うが、また杉の苗を植えていた。













11:38 
岩神王子から本宮の方向に下ると(車が通れる)林道に降り立つ。下の写真の向こう側から下りてきたが、そこ(岩神神社に向かう方向)にも通行止めの表示があった。












11:41 
この車が通れる林道から湯川王子へ向かう熊野古道にも通行止めの表示があり、迂回路として林道が案内されていた。私は通行止めの熊野古道を歩くことにする。











11:43 古道の肩が崩れている所もあったが、山側が歩ける。











11:52 
7年も人が歩いていないと、枯れ枝や土砂が古道がに堆積している。











11:58
支沢に架けていた小橋が壊れている。水の流れていない小さな沢なので、この橋を渡らなくても行ける。











マムシグサ














12:08 おぎん地頭















京都の芸子であったおぎんさんが、ここで二人組のおいはぎに襲われて命まで奪われたとの事。
















12:12 
ずっと沢沿いの道を下るが、今夏の台風で杉の木が倒壊していた。
針葉樹は台風で倒壊し易く、伐採後の大雨で道が流される。熊野古道の道回りに杉・檜が植えられたので、そう遠くない時期に熊野古道は崩壊すると思う。












12:20 林道との合流点(通行禁止の看板がある方向から歩いてきた)
















12:28 迂回路との合流点
私は通行止めにしている右奥からから歩いてきた。左側が迂回路から来る道で、少し向こうに蛇形地頭がある。これから向かう湯川王子は手前方向。

12:29











12:31 杉林の中の熊野古道
熊野古道は私有地の中にあり、植林した当時は熊野古道の環境保全義務は無かったのだろう。
今は、田辺市の歴史文化的景観保全条例で、木の伐採や看板の設置や建築は届出が要ると 規定されているが、崩壊した道を誰が修繕するのかといった管理体制については何も書いていない。
熊野古道が世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に認定されたので、観光客を呼び込むための手段として案内パンフレット等の広報には力が入っているが、実際に古道を歩く人が多くない為か、現地はなおざりになっている。











12:34 湯川王子




13:04 三越(みこし)峠
口熊野(西牟婁郡)と奥熊野(東牟婁郡)の境界で、ここから音無川の谷へ降りていく。




























13:26 道の川集落跡
昭和30年代初めには62名が住んでいたが、林業不況によりここを離れる人が増え、昭和48年に残っていた最後の8世帯がここを離れた。その時全ての田畑に杉・檜を植えた由。















































13:38 
本来の熊野古道はここで音無川に降り、川沿いに下り、赤木峠分岐と船玉神社・猪鼻王子へ行くが、の道も通行止めで、迂回路(舗装している林道)を歩けとの看板。
















13:40 
通行止めのロープをまたいで、音無川へ降りていく。この道は本来の熊野古道で船玉神社、猪鼻王子に向かう。



13:43 
音無川の左岸の道を下るが、もみじの道で心地よい。この辺りは熊野古道のかで最も良い風情であった。











13:56
赤木越道との分岐点が今夏の台風で川岸と橋が流されていた。
写真手前の仮橋で右岸に渡り、30m程向こうの仮橋で左岸に戻るが、問題なく通過できる。
赤木越道は奥の壊れている橋から右側に進む。














14:00 船玉神社


14:05 
猪鼻王子は林道から分岐して右下に下る。











14:07 猪鼻王子跡

















14:19 猪鼻王子から発心門王子への登り道











14:28 発心門王子
 猪鼻王子はこの通行止めの向こう側にあるが、私は向こう側からここ(発心門王子)へ歩いてきた。











14:30-40 発心門王子












14:43 
発心門王子には人家があり熊野本宮行きのバスがあるが、熊野本宮まで歩く。











15:02 水呑王子跡
先日歩いた滝尻から野中までは、5組(10人位、全て欧米人)が歩いていたが、今日(野中から本宮まで)は、フランス人の1組(2人)にしか出会わなかった。
彼女たちは近露から来たそうだが迂回路を歩いてきた。
今晩湯峰温泉に泊まるが、赤木越えが通行禁止になっているので、本宮まで歩いて大日越えで湯峰に行く由。











15:23 
この辺りは人家があり、樹林でなく畑になっているので、見晴らしが良い。












北側の果無山脈方面












15:34 伏拝(ふしおがみ)王子
ここから昔の熊野本宮(現在の大斎原(おおゆのはら)が見える。あと1時間。













16:00 三軒茶屋道標 「右かうや十九り半/左きみい寺三十一半」











16:00 九鬼ヶ関所












16:33 熊野本宮
この門を入っていくと、熊野大社社殿の裏側に着く。











熊野本宮大社











16:50 大斎原(おおゆのはら)
昔はここに熊野本宮社殿があったが、明治22年の洪水で流され、熊野本宮は今の場所に移転した。











フランス人2人を湯峰温泉まで送り、帰宅。