自己紹介

ローカルバスや汽車で移動し、現地の人が好む屋台飯を食べ、安いホテルに泊まる、お金をかけない旅行を楽しんでいます。 メジャーな観光地よりも、自然と人の暮らしが調和した山村や漁村の風景が好きです。 イソヒヨは磯で見かける鳥ですが、ブログのタイトルにした理由は特にありません。

2018年12月14日金曜日

熊野古道で有間皇子が詠んだ詩

教科書に載っていた有間皇子の「家にあれば笥(け)に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」は熊野街道で詠んだ詩ですが、椎の葉は小さいので飯を盛れるはずがない。別の大きな葉を使ったはずだと当時から変だと思っていました。

今思うに、「木の葉に盛る」では平凡なので、「椎の葉に盛る」として山深さを強調したのかと思う。
或は音韻の調子で椎にしたのかもしれない。そういえば有間皇子の詩は概して音の調子が良い。

或は、宮中暮らしの皇子は木の名前としては椎しか知らなかった可能性もある。椎の実は当時よく食べられていたので馴染みがあったと思う


熊野街道の道回りには、今は昭和30年位に植林された杉・檜が生い茂っているが、古来より街道周辺は薪炭樹林(くぬぎ,なら,かし,ウバメガシ、山桜、しで,とねりこ,しなの木,等)が生えていた。下の写真は一部にしか残っていない薪炭樹林の中の熊野古道。













昔は奥深い熊野の山々が眺望できたが今は見えない。












今夏の台風で間伐していない針葉樹の斜面が崩れ、石畳の古道が押し流された。



2018年12月8日土曜日

熊野古道Ⅳ 大雲取越(小口から那智の滝)

2018年11月26日 大雲取越(小口から那智の滝へ)

朝6時30分に寝間着を着たまま食堂に行ったところ、皆さんは出発できる態勢で食べていた。
朝食後、若いアメリカ人夫婦、若い香港女性組が出発し、その後私が出発した。同い年の名古屋の男性は未だ朝便が出ないと言って、出発を見合わせていた。
外国の方は今晩の宿は勝浦温泉だそうで、宅急便で送るらしい大きな旅行鞄が玄関に置かれていた。


<コースタイム>
7:15     小口自然の家(元小口中学校)出発
8:05-15  楠の久保旅籠跡手前の休憩所
8:23     楠の久保旅籠跡通過
9:35-45  越前峠
9:58     通行禁止・迂回路の案内板(熊野古道はここで通行止めとし、迂回路の林道を歩けと案内している)
10:17    石倉峠
10:38-48 地頭茶屋跡(進入禁止の古道と迂回路がここで合流する)
12:00-10 船見峠
13:15-25 那智高原公園駐車場
13:50    那智大社、青岸渡寺
この後、バスでJR那智駅へ、JRで新宮駅へ、新宮駅からバスで本宮へ移動し、置いていた車で帰宅。
大雲取越|熊野那智大社~小口
大雲取越え 地図

7:19 小口から大雲取越えの登り口は人家の側を通るが、人家に人の気配は無かった。





















7:22











7:24 杉か檜が植林されていた。




















7:50 歌碑 杉浦勝「わが越ゆる大雲取の山中に 円かに坐す地蔵菩薩は」



















8:04 楠の久保旅籠跡手前の休憩所











:04 歌碑 須川峡生 「鯉のぼり大雲取の一軒に」
須川峡生がいつ頃この道を歩いたのか知らないが、当時人が住んでいた。











8:21 楠ノ久保旅籠跡
1.5kmの区間に数カ所の屋敷跡があり、江戸時代には十数軒の旅籠があり、にぎわった由。大正年代まで旅籠があり、「豆腐あります、風呂わいています」が宿の宣伝文句だったそうだ。












8:21











8:22












全面、杉が植林されていたが、間伐していない。ここら辺りは平たん地なので崩壊の心配はないが、傾斜地で針葉樹林が密生している所が崩壊している。

8:29











8:29 万両 正月頃には実が赤くなるが、実は未だ赤くなっていない。



















この木の名前は知らないが、実を食べてみると食べれた。












8:33











8:33














8:38 土屋文明の歌碑風のゆく梢の音か瀬の音か下りの道は心楽しも」
土屋文明は斎藤茂吉と一緒に歩いた。



















8:39











8:44











8:45











8:45 高度差600mの胴切坂の坂道が続く。











9:08



















9:11



















9:26 歌碑 「瑠璃鳴くや雲取山のいきいきと」池本皎月
瑠璃はオオルリのことで、美しい青色の鳥ですが、鳴き声は大きくて美しい。



















9:32











9:35-45  越前峠











歌碑 土屋文明「輿の中、海の如しと嘆きたり、石を踏む丁(よぼろ)のことは伝えず」
後鳥羽上皇の熊野御幸に随行した藤原定家が、「輿の中海の如く・・・」と書いていることについて、「かごが揺れて大変だったと嘆いているが、かごを担いでいる人の苦労は伝えていない。」と皮肉っている)




















9:50











9:50



















9:50



















9:54 歌碑 長塚節
虎杖(いたどり)のおどろか下をゆく水のたざつ速瀬をむすびてのみつ.
「おどろか」「たざつ」の意味が判らない。



















9:58 石倉峠の登り口に通行止めの看板(林道を迂回しろとのこと)
通行止めの古道を歩くことにする。











10:07 石倉峠までは崩壊箇所は無かった。











10:29 が、人が歩いていないので、枯れ枝や石が古道に溜まっている。













10:20 石倉峠の反対側で石畳の古道が流されていた。














10:20



















10:20 
上部の急斜面が崩れて土石流が流れて来たために沢が詰まり、沢と平行に作られていた石畳の古道も流された。この針葉樹は急斜面に植えられて、全く間伐をしていないが、こういうところは大雨で流される。間伐して土に日が当たるようにして、シダや深根性の広葉樹を生やせないと崩れる。














10:20


































10:27:24



















10:27



















10:28


































10:30



















10:30



















10:31














10:32














10:33














10:35














10:36 
向こう側から出てきたが、ここにも進入禁止と迂回路の案内板があった。















10:38-48 地頭茶屋跡(進入禁止の古道と迂回路がここで合流する)














11:11














11:19














11:28 タマネギ状風化した花崗岩のコアストーンが多い。
岩塊地層節理沿いの角が連続的に風化が進行する現象。タマネギの皮のように風化が進み、内部は状に母岩が残ることとなる。玉ねぎ状構造、球状風化とも呼ばれる。球状風化は一部の花崗岩類で顕著であり、内部に残った球状の母岩(原岩)はコアストンと呼ばれる。














11:31














11:31














11:31














11:50














11:50














12:00-10 船見峠














12:00 
昔は船見峠から潮岬や大島が見えたそうだが、今は杉・檜が大きくなって見えない。














12:15 船見茶屋跡














12:16 海が見える。














12:16














12:20 ひたすら下る














12:49














13:00














13:00














13:00














13:15-25 那智高原公園駐車場
向こう側からこっちへ出て来た。




























13:27 那智高原公園駐車場から那智大社、那智の滝までも結構下る。














13:38



















13:50














13:51 重文の青岸渡寺は屋根の葺きなおし中であった。














13:52 最近雨が降っていないので、那智の滝はしょぼかった。















14:04 
小雲・大雲取越えは常緑樹が多く、紅葉は見かけなかったが、境内にはもみじの紅葉があった。





那智の滝から乗ったバスは那智駅経由勝浦へ行く。那智駅で降りたのは日本人2人だけで、他の人(全員外国人)は勝浦まで行った。
この後、JRで新宮へ行き、その後バスで本宮に戻り、置いていた車で帰宅した。