自己紹介

ローカルバスや汽車で移動し、現地の人が好む屋台飯を食べ、安いホテルに泊まる、お金をかけない旅行を楽しんでいます。 メジャーな観光地よりも、自然と人の暮らしが調和した山村や漁村の風景が好きです。 イソヒヨは磯で見かける鳥ですが、ブログのタイトルにした理由は特にありません。

2012年8月28日火曜日

2012年春旅行 63日目(アーグラーからインドール)

2012年5月13日 晴れ

昨晩、アーグラーを出発して、600Km南のイン一ドールに向かっています。

5:58
所々、林の中にある民家。
直射日光が強く、特に朝夕の斜光は家壁を暑くするので、林の中に家を建てることは合理的です。
154

6:10
インドのフラットで広大な平原
155

2012年8月27日月曜日

2012年春旅行 62日目(タージマハル)

2012年5月12日 晴れ

タージマハルはムムターズ・マハル(1595年-1631年、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの第1皇妃で、第6代皇帝アウラングゼーブの母) の墓 

上のセンターが廟で、下のセンターが大門。
  

9:00
公園の入り口から、 タージマハルの入り口まで1Km程 あるので、電気自動車やら色々な乗り物がある。
が、歩いて行く人が多い。
077




外国人の入場券は750Rsと随分高い。
入門の際、一人一人 の持ち物をチェックするので、大勢並んでいたが、外国人は並ばなくて入れる。


9:22  大門

近寄ってきたガイドが世話をしてくれたので、短時間で入門することができたのであるが、ここまで来たところでガイドさせてくれと頼まれる。(公認ガイドの資格がある)

ガイド費を聞くと1000Rsと高い。
「一人なのでガイドは要らない」と断ると、100Rsでも良いと言う。

しかし、申し訳ないが、一人で見学する事にした。
079

9:24
082


2012年8月26日日曜日

2012年春旅行 61日目(アーグラー城)

2012年5月11日 晴れ

アーグラーは、 ワーラーナシーの西北西500Km、ニューデリーの南200kmに位置し、16世紀にデリーから遷都された事があり、当時に作られたアーグラー城砦とタージマハールは世界遺産。
026


0:11
昨夕、ワーラナシーからアーグラーへの夜行列車に乗ったが、途中の駅。
020

5:52
この写真には写っていないが、この後、田圃にしゃがんでいる人を大勢見かける。
021

客を連れてくると、 ホテルにからリベートがもらえるらしく、 この町のオートリクサーは、 指示していないホテルに勝手に連れて行き、先に入って行く。

「あんたに紹介されるホテルには泊まりたくない。宿屋が建ち並ぶ宿屋街まで行って下ろせ。」と言うが、次から次とホテルを回る。

2012年8月24日金曜日

2012年春旅行60日目(バナーラス・ヒンドゥー大学、深い河)

2012年5月10日 晴れ

遠藤周作の深い河の舞台が何処だったかなあと思い、インターネットで調べていたら、なんとこの町がその舞台でした。

この町の名前はワーラーナシーまたはバナーラスですが、 かつて、日本ではこの町をベナレスと称しており、深い河の舞台ベナレスはこの町だったのです。

深い河のチャームンダー像のくだりを引用する。

「・・・・チャームンダーは墓場に住んでいます。だから彼女の足もとには鳥についばまれたり、ジャッカルに食べられている人間の死体があるでしょう。・・・彼女の乳房はもう老婆のように萎びています。でもその萎びた乳房から乳を出して、並んでいる子供たちに与えています。彼女の右足はハンセン氏病のため、ただれているのがわかりますか。 腹部も飢えでへこみにへこみ、しかもそこにはさそりが噛みついているでしょう。 彼女はそんな病苦や痛みに耐えながらも、萎びた乳房から人間に乳を与えているんです」 

この チャームンダー像 がヒンズー大学の博物館にあるとの記事があったので、今夜の夜行列車でアーグーラー行きますが、昼間時間があるので、行ってみることにした。

5:20
朝、目が覚めると、窓辺にサルがいた。
001



ツアー会社に今夜のアーグラーまでの寝台車と3日後の アーグラー からジャルガオンまでの寝台車を頼んでいた。
それを受けとりに行くと、切符はは取れていると見せながら、コンファームするから夕方5時に来てくれと言う。

後で考えると、乗車券に書いてある価格に対してツアー会社が請求する価格が4,5倍するので、列車の発車間際に渡して、文句があっても追い出そうという魂胆で、切符の受け渡しを遅らしていたようです。

後で来るのは面倒だから、今渡せと言ってキップを取り上げると、次のような事でした。

                  切符の価格    ツアー会社の請求
ワーラーナシーからアーグラー寝台  169Rs        700Rs(4.1倍)
アーグラーからジャルガオン寝台   239Rs             1200Rs(5.0倍)

取り合えず1900Rs渡した後、あまりにもひどい話ではないかとねじ込んでいたら、1000Rs投げ返してきたので、それをもらって終わりにすべきだったのですが(これでもツアー会社が492Rsの儲け)、私が何を勘違いしたのか、それは貰いすぎだからと800Rs返したのです。

駅で並んで切符を買うのも大変ですが、妥当な ツアー会社のフィーは幾らかなのかなあ?
 

切符を受け取ってから、昼に何を食べようかと考えながら町を歩く。

2012年8月22日水曜日

2012年春旅行59日目(サルナート)

2012年5月9日 晴れ

昨夜も4時間程停電があり、ACが使えず暑かった。

今日は、釈迦が悟りを開いた後、初めて説法をしたといわれるサルナートを見物。
仏教が広く布教できた理由を考えてみたが、やはり弟子達が優秀だったのでしょう。


・釈迦の説法に説得力があった。例えば死にそうな人に、「信仰すれば死なない等とは
 言わず、死ぬ事は怖くない、極楽に行ける。」てな事を言ったのか。

・釈迦が長生きし、晩年まで呆けなかった。(享年80歳)

・富裕な地域で布教し、下層者から王族まで、広い層に帰依された。

・弟子達の布教集団が組織的で強力であった。
 (教義の深化が的確であり、布教の組織力も大きかった。) 



サルナートはワーラーナシーの北10Kmに位置するので、オートリクサーで行く。
オートリクサーは、日本のケイヨンよりも小さく、昔のミゼットと似たサイズの三輪車。

誰かが乗っているオートリクサーに便乗する時は、10RS払えば良いが、一人で乗るときは行き先を言って値段をネゴして決める。
大概は言い値の半額まで値切れるが、今回サルナートまで150Rs(210円)。


032

2012年8月19日日曜日

2012年春旅行58日目(ワーラーナシー、バナーラス)

2012年5月8日 晴れ 

昨日泊まったゲストハウスは4階建ての民家で、1,2階は家主家族が住んでおり、3,4階にGestが入るという小さな宿であった。
聞いた話と違って、昨夜はWIFIも入らないし、エアコン(ファンの前に水を噴射する箱型の構造) も効かないので、午前中に別のゲストハウスに移った。

こっちの宿は、ACはまともであり、WIFIも繋がったのですが、夕方から4,5時間停電があり、WIFIは宿のルーターには接続できるものの、そこから先に接続できないという状況でした。


7:43 
ゲストハウス探しで寄ったフジゲストハウスの屋上からの眺め。
(ここの近くの別のゲストハウスにしたが。)
002


午後散策に出かける。

15:16
この町はヒンズー教最大の聖地です。
この路地の近くに有名らしい黄金寺(ヴィシュワナート寺院)がありますので、時間帯によってはこの小さな路地は混みあうのですが、今は歩けます。
006

2012年8月18日土曜日

2012年春旅行57日目(ゴーラカブルからワーラーナシーへ)

2012年5月7日 晴れ

今日は、ゴーラカブルからワーラーナシー( ヴァーラーナスィー、
バラナシとも表記 。 日本では 、植民地時代の英語表記Benaresの誤読 でベナレスと称された。)までディーゼル車での移動です。 

ワーラーナシーでは、東へ行くか西へ行くか南へ行くか決断する必要があるのですが、 今日は他ルートの選択肢がありません。 

朝早く行って、買った乗車券は 60Rs(85円) だったので安いなあと思っていたが、乗車する時に見てみるとノンリザーブ席であった。 
(切符を買って自由席に乗っている人はいないのだが。) 

昨日、指定席が買えなかったは売り切れだったのだろう。(ローカル線の窓口の人には、英語を話さない人がいる。)


始発だったので座れて、6:30に発車。 

066

7:35
002-001


7:38 ガンジス川
004


 ヒマラヤ山脈の南麓を水源とし、ハリドワールで大平原へと出る。ここまでの約200kmがガンジス川の上流部である。
ここからは河口部まで急流もなく、北インドの平原地帯(ヒンドスタン平野の一部)を流れる。
イラーハーバードで最大の支流ヤムナー川と合流し、東へと向きを変えて北のヒマラヤ山脈や南のヴィンディヤ山脈からさらに多くの河川を集める。

中流域には網の目のように支流が走っており、さらにその支流から運河が各地に建設されて灌漑に利用されている。
ビハール州北東部にてデカン高原の北東端にあたり、そこからは南東へと流れを変える。ここまでの約2200kmがガンジス川の中流域であり、これより下流の約600kmは下流域とされる。

インド亜大陸がぶち当たってできた境目に、ガンジス川が運んだ土砂が堆積し、ヒマラヤ山脈と平行に走る大平原(ヒンドスタン平野) ができたが、この平原は豊かな穀倉地帯。
主要作物は米や小麦。その他にトウモロコシ、サトウキビ、綿花の栽培も多い。その結果として、この平野は世界で最も人口密度が高い地域の一つとされる。

ファイル:Ganges-Brahmaputra-Meghna basins.jpg


10:27
最初は、座れていたのですが、ものすごく混んできた。

右側に一人掛けのシートが1列あり、通路を挟んで左側に5人掛けの長シートがある。
1人掛けには2人、5人掛けには7、8人位座っている。通路は歩けない。
008-002