教科書に載っていた有間皇子の「家にあれば笥(け)に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」は熊野街道で詠んだ詩ですが、椎の葉は小さいので飯を盛れるはずがない。別の大きな葉を使ったはずだと当時から変だと思っていました。
今夏の台風で間伐していない針葉樹の斜面が崩れ、石畳の古道が押し流された。
今思うに、「木の葉に盛る」では平凡なので、「椎の葉に盛る」として山深さを強調したのかと思う。
或は音韻の調子で椎にしたのかもしれない。そういえば有間皇子の詩は概して音の調子が良い。
或は、宮中暮らしの皇子は木の名前としては椎しか知らなかった可能性もある。椎の実は当時よく食べられていたので馴染みがあったと思う
熊野街道の道回りには、今は昭和30年位に植林された杉・檜が生い茂っているが、古来より街道周辺は薪炭樹林(くぬぎ,なら,かし,ウバメガシ、山桜、しで,とねりこ,しなの木,等)が生えていた。下の写真は一部にしか残っていない薪炭樹林の中の熊野古道。
昔は奥深い熊野の山々が眺望できたが今は見えない。
今夏の台風で間伐していない針葉樹の斜面が崩れ、石畳の古道が押し流された。
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