自己紹介

ローカルバスや汽車で移動し、現地の人が好む屋台飯を食べ、安いホテルに泊まる、お金をかけない旅行を楽しんでいます。 メジャーな観光地よりも、自然と人の暮らしが調和した山村や漁村の風景が好きです。 イソヒヨは磯で見かける鳥ですが、ブログのタイトルにした理由は特にありません。

2013年10月22日火曜日

乗鞍岳

2013年9月13日

平湯温泉からバスに乗り約1時間で畳平に到着。気温8℃。
(自家用車の乗り入れは禁止されている。2,3人、自転車で登っている人を見かけた。)

<コースタイム>
10:40       畳平出発(2702m)
11:20-11:25 肩の小屋
12:25-13:00 剣が峰(3025m)
13:48-14:05 肩の小屋
14:35       畳平

Photo

Photo

畳平バスターミナルと鶴ヶ池

富士見岳と摩利支天岳のコルを過ぎた所から初めて剣が峰が見えた。(左端)

剣が峰(左端)と肩の小屋(右端)

2013年10月20日日曜日

奥穂岳登山 3日目(涸沢小屋から上高地)

2013年9月12日 曇り

<コースタイム>
 7:15        涸沢小屋出発
 8:30-8:40   本谷橋の50m上
10:00-10:20  横尾橋
11:20-11:40  徳沢
12:35-13:20  明神小屋(明神池見物)
14:25        河童橋

朝、日の出前 (涸沢小屋から屏風岩方向)

涸沢ヒュッテとテント場(涸沢小屋から)


上部に霧がかかっている朝の涸沢

二晩世話になった涸沢小屋を後にする。

2、3週間後には真っ赤に紅葉するナナカマドの林を本谷出合へ下る。

















屏風岩

横尾橋からの屏風岩




横尾橋山荘






梓川の川原に散在する流木



徳沢

明神池(穂高神社の私有地の中にあり、有料)
笹の向こうに少しだけ池が見えるが、無料ゾーンからではこれが精一杯。
無料ゾーンからでは、少ししか見えないように細工をしている穂高神社の商魂はたくましい。
河童橋からの梓川

岳沢
(今日は終日雲りで、暑くなく歩き易かったが、岳沢上部は曇っている)
笠ヶ岳(平湯温泉より)

2013年10月17日木曜日

奥穂岳登山 2日目(涸沢小屋から奥穂岳往復)

2013年9月11日 晴れ

<コースタイム>
 5:30       涸沢小屋出発
 6:30-6:40  ザイテングラートへのトラバース地点
 7:35-7:45  ザイテングラートの中ほど
 8:40-9:30  穂高岳山荘
10:20-11:25 奥穂岳頂上
12:10-12:40 穂高岳山荘
13:30-13:40 ザイテングラート中間
15:05       涸沢小屋到着


涸沢小屋からの登り始め

屏風岩と常念岳(後方)


奥穂岳

2013年10月15日火曜日

奥穂高登山 1日目(上高地から涸沢小屋)

2013年9月10日

前夜は平湯温泉の平湯館に泊まった。

大昔、平湯温泉は鄙びた温泉であったが、安房トンネルや平湯トンネルや高速道路が出来た後、今、この辺り一帯の奥飛騨温泉郷は集客力の大きな温泉街となった。

この辺りは、春は新緑、夏は登山・避暑、秋は紅葉、冬は雪山・スキーと今風の観光資源が豊富で、社内旅行が無くなって衰退著しい熱海温泉や白浜温泉に比べて、お客さんが随分増えているように思われる。

朝6時の上高地行き始発に乗る。

何度も上高地から穂高や槍ヶ岳へ登山しているが、最近は上高地に来ていないので、10年ぶりぐらいかもしれない。

今回は、中学校の同級生に「一度高い山に連れていってくれ」と頼まれた山行なので、山小屋泊まりとし、荷は軽く、ゆっくり歩く事にする。

平湯温泉館を朝6時に出て、6時30分発の上高地行き始発に乗る。

<コースタイム>
 7:00       上高地バスターミナル出発
 7:55-8:15  明神館
 9:05-9:15  徳沢
10:20-10:35 横尾橋
11:45-12:00 本谷橋
13:00-13:15 本谷橋と涸沢の中間位の所
14:00-14:15 涸沢ヒュッテ下100m
14:35       涸沢山荘

7時、上高地に到着。
四十数年前は9月ともなれば上高地は閑散としていたように思うが、今は観光客で賑わっていた。

河童橋から岳沢

2013年10月13日日曜日

46年前(1967年)のジャズフェスティバル

今年の夏、久し振りに故郷に帰り、今は誰も住んでいない生家で暮らした。

親が保存してくれていた子供の頃の持ち物の中に、1967年の音楽会のパンフレットがあった。
大学1年の時、同じ高校出身の仲間と早稲田大学のジャズバンドを招いて開いたジャズフェスティバルのパンフレットである。
P7292093

























中のメンバー表を見ていると、後年プロのジャズ奏者となった人が2人いる。(私が知っている範囲で)

また、モダンジャズクラブの司会は森田一義となっている。
後年、タレントとして有名になるタモリが、あの時司会していたのだ。
モダンジャズメンバー


















その事を、地方新聞(紀伊民報)のホームページに投稿したところ記事になりました。(2013年8月10日)



2013年8月26日月曜日

琵琶湖から流れ出る水

2013年7月18日

以前より、琵琶湖から流れ出る水の状態を見たいと思っていたが、昨夜、大津に泊まったので、瀬田川に沿って下ってみることにした。

広い流域に降った雨が琵琶湖に注ぎ込み、そこに溜まった水が瀬田川一箇所から流れ出す。
大雨が降った後は瀬田川の水量は膨大となり、また雨が降らない時は瀬田川の川底が最も高くなっている地点と琵琶湖の水位が同じとなり、瀬田川の水は枯れるはずです。

その他、色々困った事が起こったはずで、それらを解決する為に堰が作られたのだが、どの程度のものなのか興味深い。


琵琶湖は伊賀地方の隆起によってできた構造湖だそうだが、溜まった水は南側の瀬田川から流れ出ている。

より大きな地図で 瀬田川 を表示

名神高速道路の下流(上の地図の北側のポイント)から琵琶湖方向

同地点から川下方向
この辺りの川幅は300m位。水は流れていない。


瀬田川洗堰は名神高速道路より4Km下流にあった。(上の地図の南側のポイント)
この写真は洗堰の下流側。
一番向こう側のゲートから水が流れ出ているが、その他のゲートは閉じられている。
洗堰とは、ゲートの上を水が流れる方式(越流方式)の堰の事を言うそうだ。


瀬田川洗堰から上流側

左岸上流から見た瀬田川洗堰
左側の赤い水門がバイパス水路で、その右側が瀬田川洗堰

この堰の近くに、国土交通省琵琶湖河川事務所が運営する琵琶湖の治水や利水、水環境などについて学べる「アクア琵琶」という入場料無料の施設があり、この洗堰の事を説明していた。

・堰の無い時代:可能流量は1時間に50㎥(川ざらいすると変わったと思うが)

 大雨が降ると琵琶湖の水位が上がり、琵琶湖周辺の田んぼや家が浸水するという災害が
 頻発していた。
 また、瀬田川の川底をさらって流路を大きくすると、大雨のとき瀬田川の下流が氾濫した。

・明治38年に完成した南郷洗堰(旧洗堰)の時代:可能流量は200㎥/秒
 この時、大掛かりな川ざらえを実施
 大きな角材のゲートを人力で上げ下ろししていた為、水門を全開するのに1日、全閉するのに
 2日かかっていた。

・昭和36年に完成した瀬田川洗堰(新洗堰)以降:可能流量は600㎥/秒
 この時、流路を大きくした。
 電動化により、水門の開閉は30分に短縮

・平成4年バイパス水路新設:可能流量は800㎥/秒
 この時、更に流路拡大
 また、瀬田川洗堰はゲートの上を水が流れる越流方式なので、琵琶湖の水位が下がった時  
 は正確な流量調整ができなかったそうだが、川底から流れるバイパス水路によって、正確な
 調整ができるようになったとの事。


下流の山間部での瀬田川
この日の水量はこの程度で多くないが、いつも少しは流している。
琵琶湖周辺も含めたこの川の集水面積は相当大きいのに比して、この川幅は小さい。
従って、堰が無かった頃は、雨が降った後の水位は非常に高くなったと思われる。

更に下流
下流側にダムがあるので、流れが止まっている。


2013年8月22日木曜日

祇園祭 巡行

2,013年7月17日

1番 長刀鉾






















巡行 長刀鉾

2番 郭巨山(かっきょやま)
端を割いた竹筒をジャーと引っ張り、その後、トンと立てながら、露払いの如く先頭を歩く。

京都の山車は、西陣織の前懸、胴懸、後懸が見所のようだ。


2013年8月20日火曜日

祇園祭 宵山

2013年7月16日

祇園祭見物は初めてであり、予備知識は何も無い。
午後0時過ぎ、三条で電車を降り地上に上がる。

高瀬川沿いに四条まで下るが、祭りの気配は全く無い。

祇園祭は八坂神社の祭礼という事は聞いていたので、四条大橋を渡って八坂神社に向う。
納涼床が鴨川沿いに立ち並ぶ。

 13:00 八坂神社
祭りらしい賑わいはない。
祭りの中心は此処ではなく、街中のようだ。

2013年8月19日月曜日

三井寺

2,013年7月16日

京都の祇園祭を見物する為に昨夜から大津に泊まっている。
京都の宿が取れなかったので、大津にしたのであるが、JRの大津駅から京都駅まで10分だし、京阪大津線で行くと、浜大津から京都市役所前まで24分で行ける。

午前中、三井寺を見物した。

大津京が開かれた後、672年の壬申の乱で破れた大友王子の息子が父(大友王子)の霊を弔う為に建てたのがこの寺の始まりらしい。歴史のある寺だ。

天台宗の宗派対立で、山門(延暦寺)と寺門(三井寺)に分かれた後、両派の対立や源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなどで何度も焼けたそうだ。
また、1595年に秀吉によって廃寺を命じられたこともあるが、復活し、しぶとく生き延びた。

大津には紫式部が住んだ石山寺もある。


近江八景は、「三井晩鐘」、「石山秋月」、「矢橋帰帆」、「勢多夕照」といった名がつけられている通り、その一帯の風景を愛でている。この鐘を特に愛でている訳ではない。

広重の「三井晩鐘」 保栄堂版

広重の「三井晩鐘」 魚栄版

2013年6月20日木曜日

2013年ミャンマーとアマンダイ海の旅 62日目、最終日(from Langkawi Island to Haneda、ランカウイ島から羽田)

2013年4月29日

いよいよ日本に帰る日となった。
2ヶ月間の旅であったが、少し飽きてきた気分もあり頃合です。

前半のミャンマーは、メジャーな観光地が無かったように思うが、人が良かった。

すれていないし、外国人に良くしてあげたいという気持ちが伝わってくる。ただし、ヤンゴンでは金儲けに目覚めた人が増え、すれてきたような気がする。

後半のタイ南部のアンダマン海島巡りは、のんびりさせてもらった。
しかし、訪問者が異常に増えており、島も海も荒れてきている。

2週間或いは1ヶ月間も、同じ場所に滞在する欧米人がいた。
私は同じ所に3,4日もいると飽きてきてくるが、彼らの気の長さには感心する。

現地人が住んでいる島と住んでいない島の両方に滞在したが、現地の人とそれなりに交流できる島の方が面白かった。ただ、現地人が住む島は、蚊、ハエ、ゴミが多い。

漁民が住んでいるランタ島のサルダンやスコーン島で、もう少し長居しても良かった。
また、クラブリーやクラビやトラン等の町は、新鮮な魚が並ぶ市場があり、宿代も安い。ここらも良い。

釣り、貝採り、魚の銛突き等のハンティング的な遊びができる島の方が面白い。次回はそういう島に行きたい。

9:25 
Shirin ゲストハウスを出発
世話になった女将さん。













9:38 飛行場に到着
一週間ほど前にインターネットで飛行機の予約は取っている。