自己紹介

ローカルバスや汽車で移動し、現地の人が好む屋台飯を食べ、安いホテルに泊まる、お金をかけない旅行を楽しんでいます。 メジャーな観光地よりも、自然と人の暮らしが調和した山村や漁村の風景が好きです。 イソヒヨは磯で見かける鳥ですが、ブログのタイトルにした理由は特にありません。

2011年6月11日土曜日

南紀旅行(芦雪寺の草堂寺、菱垣廻船発祥の富田浦、うつぼ釣り)

5月の連休に紀伊半島を一周しました。

和歌山県白浜町の草堂寺です。



長澤芦雪半年ぐらい滞在して、牛や猿などの斬新な絵を描いた事で有名なお寺です。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%B2%A2%E8%8A%A6%E9%9B%AA


小さな村のお寺で、檀家も少なそうですが、その割には大きなお寺です。

江戸時代には、京都の九条家と一条家の菩提寺であった由、古刹です。






世界遺産の熊野古道の大辺地(田辺より紀伊半島の海岸に沿って串本を経由して那智大社、速玉大社、熊野本宮に行く古道)は、草堂寺の脇を通っています。

ここより、富田坂を越えて日置川に至ります。




地元のスーパーに立ち寄りました。

ケンケン釣り(http://www.youtube.com/watch?v=QHhZxpqJ1bw)で釣った旬の鰹です。

餅のような弾力があり、生臭みがなく、東京で食べる鰹とは全く違います。

鮮度に拠るのか釣り方に拠るのか判りませんが、大変おいしい。

上の方は片身ですが、下の方は1/4身ですから大きな鰹です。



トンボシビ(ビンチョウマグロです)
東京で食べると、クタッとした触感で水臭く、おいしくありませんが、これだけ鮮度が良いと絶対に美味しい。
地元の人が食べている魚は絶対に旨い。



グレとツバスですが、これも旨そうですね。




菱垣廻船発祥の富田川の川口に立ち寄りました。

(江戸時代の1619年(元和5年)に和泉国堺の商人が紀州の富田浦の廻船を雇って江戸へ回航させたのが創始で、多種多様な日常の生活物資を運んだ。寛永期に大坂北浜の泉谷平右衛門が江戸積問屋を開き、菱垣廻船問屋が成立した。)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%B1%E5%9E%A3%E5%BB%BB%E8%88%B9


干潮でしたので、海に流れ出る河口が狭く、向こう岸がすぐそこに見えます。

かつては、この岩の穴にロープを結んで船を係留したのでしょう。
この穴は、手で掘られたようです。



この岩の右端のコブも、船のロープを結わえる為に掘られたようです。



このコブもロープを結わえるものですね。



大正12年の富田浦
(帆船は大正時代に終末を向かえ、富田の造船業も消滅した。)



こんな船で江戸まで、酒やミカンや木材を運んだのだ。
竜骨ではなく平底ですから、300石とかの大きさになるとやばそうですが、相当頑丈な躯体にしたのでしょう。



紀州の富田の磯で鰹の刺身でビールを飲み、秋刀魚寿司を食べて、のんびりする。







ウツボ釣り挑戦しました。
釣具は、拾ってきた古竹に、30CM程のハリスと釣り針を付けたものです。

釣り針に、塩漬け秋刀魚の切り身を付けて、岩の下に差し込みます。

早速、ウツボが釣れました。







ガシラ(カサゴ)も釣れた。


また、ウツボ



またウツボです。




もっと釣れたのですが、餌の秋刀魚がトンビにさらわれたので終了としました。


串本の橋杭岩です。 不思議ですね。



翌日、川口に帰り、インターネットで調べたレシピを参考にして、カサゴとウツボの煮物を作りました。

ウツボの煮物は初めてすが、トロットした白身で旨い。カサゴも当然旨い。



地元の人がウツボを開いて干していましたので、真似をしてみました。



ウツボの干物の完成です。どうやって食べるかこれから研究します。

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