自己紹介

ローカルバスや汽車で移動し、現地の人が好む屋台飯を食べ、安いホテルに泊まる、お金をかけない旅行を楽しんでいます。 メジャーな観光地よりも、自然と人の暮らしが調和した山村や漁村の風景が好きです。 イソヒヨは磯で見かける鳥ですが、ブログのタイトルにした理由は特にありません。

2011年6月22日水曜日

1Q84 その3(チベットにある煩悩の車輪と同じ。本当の愛は車軸に取り付いて動かない。)

青豆さんには深く愛する人が一人いる。今がいつであり、ここがどこであれ、そんなこととは関係なく彼に会いたい。死ぬほど会いたい。

それでも、そこまで好きな相手がいても知らない男とときどきセックスしたくなるんだね。そうすることが必要なの。生身の人間としてバランスをとっておくために。

でもそれによって青豆さんの中にある愛が損なわれることはないんだ。

チベットにある煩悩の車輪と同じ。車輪が回転すると外側にある価値や感情は上がったり下がったりする。輝いたり、暗闇に沈んだりする。でも本当の愛は車軸に取り付けられたまま動かない。


→「チベットにある煩悩の車輪」とは、マニ車の事かと思いますが、マニ車は円筒形で、側面にはマントラが 刻まれており、内部にはロール状の経文が納められており、これを手で回す事によって、お経を唱えた事になるというものです。

中国の九賽溝に行ったとき、川の流れにマニ車の一端を浸け、水車方式で回転させているのを見ましたが、これは水車式自動読経機です。

数千キロ離れた聖地へ、手足の幅ずつ匍匐する五体投地礼のみで、何年もかけて巡礼する人も多い本格派のチベット仏教でもマニ車の如き簡便法が存在するのが面白かったが、時間をかけて唱えてもたいしたご利益があるわけでもないので合理的です。

チベットの山中のお寺でマニ車をガラガラと回す時、確かに何かに思いを寄せたい気分になるが、青豆さんは子供の頃に知り合っただけの遠い人への愛をマニ車の車軸に取り付いて動かないと表現した。

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