自己紹介

ローカルバスや汽車で移動し、現地の人が好む屋台飯を食べ、安いホテルに泊まる、お金をかけない旅行を楽しんでいます。 メジャーな観光地よりも、自然と人の暮らしが調和した山村や漁村の風景が好きです。 イソヒヨは磯で見かける鳥ですが、ブログのタイトルにした理由は特にありません。

2012年9月17日月曜日

2012年春旅行 65、66日目(アウランガーバードからゴアへ)

2012年5月15日 晴れ 

朝、ホテルの食堂へ行くと、 「今日は アジャンタ石窟に行く」と言う30歳ぐらいの欧米人がいた。

「ヴァルガー」から来たと言うので、「その国はどこにあるの?人口は?」と尋ねると、「オランダ、フランスに挟まれた小さな国だ。人口は1000万人位。」

あの辺りにルクセンブルクという小国があるが、他にも小国があるのか?
しばらく思い悩んだが、もそんな国は思い出せないので、「申し訳ないが、その国は知らない。」と答えたが、後で考えるとベルギーの事で、スペルを聞くべきだったのだ。

そういえば、「ホーランド」や「インディア」や「ターキー」や「グリース」も、初めて耳にしたときは「どこだ?」と思った記憶があるが、外国の国名について英語発音を知らなすぎると反省。

しかし、ベルギーは、チョコレートやお菓子が有名で、ビールのバドワイアーや化学のソルベー等、工業も盛んでその存在感は大きい。その国の人口が1000万人とは知らなかった。

彼は、インド・ムンバイに入って、ここに来たばかりで、1ヶ月間の休暇があると言う。
「どこが良かったか」と聞かれたので、「インドよりネパール(エベレストトレッキング)の方が良かった」と答えた。
ネパールに行っても良いような顔をしていたが、「インドは広大で行き先も多く時間がかかるので、今回は無理だろう。」と言っておいた。
また、「エローラ石窟に行っても入場券は買うな」と助言。


今日は、アジャンタ石窟に行く予定であった。

「アジャンタ石窟 の開窟年代は、前期(第1期)と後期(第2期)に区分される。
前期は紀元前1世紀から紀元後2世紀の
サータヴァーハナ朝時代 、 ヴィハーラ窟としては第12窟、第13窟、第15A窟で、チャイティヤ窟では第9窟、第10窟で、おそらく比丘たちの生活、修行の空間であったためにいずれも装飾が少なく小型で簡素な造りであったと考えられる。

後期である5世紀後半から6世紀頃になると、ヴィハーラ窟は、奥壁中央に仏殿が設けられ、本尊として説法印を結んだ仏陀座像が脇侍菩薩を従えて安置され、仏殿としての性格が強くなる。つまり寄進者は、聖なる存在としての仏陀に永久に残る住居である窟院をささげることに功徳を見いだすという目的で石窟を築いたと考えられる。 」

ところで、昨日、ゴア行きの今夜の夜行バスチケットを買っていたが、その出発時刻は16時である。
アジャンタ石窟のツアーを申し込もうとしたが、帰りが17時頃になると言う。

しかたなく、ホテルでインターネットで時間をつぶし、16時のバスでゴアに向けて出発。

インドの歴史や宗教遺跡には大いに食傷していたので、リゾート系の町でやっとフィシュフードも食べられると期待が膨らむ。

18:18 
平原の中にこのような小山があるが、この辺り全体がデカン高原。
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18:21
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2012年5月16日 

8:19
ゴアを流れるマドヴィー川
ゴアはインド半島西海岸のちょうど真ん中にあり、16世紀にポルトガルがこの川の上流にゴア(オールドゴア)という町を作った。
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8時30分、ゴアのバナジに着く。

ここにはビーチが多く、どのビーチに行くか?
結局、日本人経営のカフェーがあると ガイドブック(古かったが)に 書いてあった、「カラングートビーチ」へ公共バスで向かう。

宿を決めて、仮眠した後、夕方ビーチを覗いてみた。

インドはあまり外国観光客に人気がないらしく、この旅行中日本人はもとより欧米人にもめったに会わない。

18:17
今、サマーシーズンで観光のオフシーズンであるとしてもこのビーチにいる人は全てインド人 。
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