自己紹介

ローカルバスや汽車で移動し、現地の人が好む屋台飯を食べ、安いホテルに泊まる、お金をかけない旅行を楽しんでいます。 メジャーな観光地よりも、自然と人の暮らしが調和した山村や漁村の風景が好きです。 イソヒヨは磯で見かける鳥ですが、ブログのタイトルにした理由は特にありません。

2012年9月30日日曜日

2012年春旅行 75日目(カニヤークマリ、カンニヤークマリ) India Kanyakumari

2012年5月25日 晴れ 

コバーラルビーチは、旨い魚が食えるし、ビールも飲めるので長居をしたかったが、5月31日の出国フライトを予約したので、カニヤークマリに移動することにした。


8:57
コバーラルビーチを後にする。
飛んでいるのはカラスであるが、日本のカラスより小ぶりで首筋が白っぽい。
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9:30 出発


9:48
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90Km程の距離であるが、あちこちで停車するので3時間かかり、12時半頃、カニヤークマリに到着。

15:47 ヴィヴェーカーナンダー像
017

19世紀末ヒンドゥー教の改革者ヴィヴェーカーナンダーが、この島に泳いで渡り、3日間インドの過去、現在、未来について沈思黙考したそうだ。

こういう場所で瞑想したので悟りを開いたという事ではないと思うが、宗教リーダーはパフォーマンスが必要なのだ。

<ヴィヴェーカーナンダーの教え(切り取り引用で真偽は判らない)>
1)宗教の教義上の違いは矛盾ではなく、1つの真理に対する異なった
  アプローチである。
 それらは違いにより補い合う。1つの教義に真理は収まりきらない。
 多様な宗教の全体が真理であり、仏教、キリスト教、イスラム教、
 ヒンドゥー教等の全ての宗教全体が神の啓示である。

2)人間にとって魂の探求、神の光の探求ほど多くのエネルギーを
  費やさせるものはない。
  なぜ宗教が大きな力を持つのかといえば、無限という理想を宗教の中に
  宿しているからだ。

  感覚界のなかで無限という理想を求めても必ず挫折する。例えば無限の
  感覚的快楽など不可能である。
  
  無限という理想は超感覚の世界の中に見出される。
  ヴィヴェーカーナンダは、あらゆる宗教に共通な要素は感覚の限定を超えようと
  する努力だという。

  自然の背後に働く大いなる力を見るのも、先祖の霊魂を崇拝するのも、
  霊の啓示を受けるのも、悟りを開いて永遠の法則を理解するのも、
  超感覚的なものに対する関わりだ。

  宗教の対象は絶対あるいは無限であるがゆえに人間の理性や感覚に収まりきらない。
  物質に留まることもない。

3)感覚の限定を超え、無限なるものと合一するのが最高の理想なのだと彼は主張する。
  そしてその合一のための手段として彼はヨーガを提唱する。

保守的なヒンズー教徒から攻撃されたそうであるが、排他的唯我独尊の宗教と
 違って、良い事を言っている。
 ヨーガとは何ぞいと言う事になるが、今の私には興味がないので、おしまい。

10:05 途中の町A 
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10:51 途中の町B
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11:48 途中の町C
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90Km程の距離であるが、あちこちで停車するので3時間かかり、12時半頃、カニヤークマリに到着。
ここもヒンズー教の聖地なので、インド人の観光客か巡礼者が多い。

バスを降りると客引きがホテルを紹介するので付いて来いと言うので、コヴァーラムビーチから一緒に乗った欧米人若者と一緒に付いて行く。

最初の宿は満室だったので、そいつを振り切って他の宿をあたるが、金曜日のせいか、インド人の巡礼者が多く満室の宿が多かった。

一つ空き部屋がある宿があったが、それは彼に譲り、更に別の宿をあたる。
クーラー付きの部屋を希望していたが、無さそうなので、仕方なくクーラー無しのホテルに決めた。

後で判ったが、インド半島先端のこの辺りは風力発電が立ち並ぶ地域で、何時も風が拭いている。
この日も窓から爽やかな風が吹き込んできて、クーラーが欲しいとは思わなかった。


泊まった宿の窓からの眺め。
半島の東側海岸に建つホテルで、正面のホテルの向こうは海、その先にはセイロンがある。
この辺りはベンガル湾とインド洋の境目辺り。
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15:40 
この日は閉めている店が多かったが、露天の土産物屋が並ぶ岬への道。
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15:44 コモリン岬
ここで禊をする人が多い。
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15:44 
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15:44
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15:47 ヴィヴェーカーナンダー像
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19世紀末ヒンドゥー教の改革者ヴィヴェーカーナンダーが、この島に泳いで渡り、3日間インドの過去、現在、未来について沈思黙考したそうだ。

こういう場所で瞑想したので悟りを開いたという事ではないと思うが、宗教リーダーはパフォーマンスが必要なのだ。

<ヴィヴェーカーナンダーの教え(切り取り引用で真偽は判らない)>
1)宗教の教義上の違いは矛盾ではなく、1つの真理に対する異なった
  アプローチである。
 それらは違いにより補い合う。1つの教義に真理は収まりきらない。
 多様な宗教の全体が真理であり、仏教、キリスト教、イスラム教、
 ヒンドゥー教等の全ての宗教全体が神の啓示である。

2)人間にとって魂の探求、神の光の探求ほど多くのエネルギーを
  費やさせるものはない。
  なぜ宗教が大きな力を持つのかといえば、無限という理想を宗教の中に
  宿しているからだ。

  感覚界のなかで無限という理想を求めても必ず挫折する。例えば無限の
  感覚的快楽など不可能である。
  
  無限という理想は超感覚の世界の中に見出される。
  ヴィヴェーカーナンダは、あらゆる宗教に共通な要素は感覚の限定を超えようと
  する努力だという。

  自然の背後に働く大いなる力を見るのも、先祖の霊魂を崇拝するのも、
  霊の啓示を受けるのも、悟りを開いて永遠の法則を理解するのも、
  超感覚的なものに対する関わりだ。

  宗教の対象は絶対あるいは無限であるがゆえに人間の理性や感覚に収まりきらない。
  物質に留まることもない。

3)感覚の限定を超え、無限なるものと合一するのが最高の理想なのだと彼は主張する。
  そしてその合一のための手段として彼はヨーガを提唱する。

→ヨーガとは何ぞいと言う事になるが、今の私には興味がないので、おしまい。


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