自己紹介
- イソヒヨ
- ローカルバスや汽車で移動し、現地の人が好む屋台飯を食べ、安いホテルに泊まる、お金をかけない旅行を楽しんでいます。 メジャーな観光地よりも、自然と人の暮らしが調和した山村や漁村の風景が好きです。 イソヒヨは磯で見かける鳥ですが、ブログのタイトルにした理由は特にありません。
2012年8月27日月曜日
2012年春旅行 62日目(タージマハル)
2012年5月12日 晴れ
タージマハルはムムターズ・マハル(1595年-1631年、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの第1皇妃で、第6代皇帝アウラングゼーブの母) の墓
上のセンターが廟で、下のセンターが大門。
9:00
公園の入り口から、 タージマハルの入り口まで1Km程 あるので、電気自動車やら色々な乗り物がある。
が、歩いて行く人が多い。

外国人の入場券は750Rsと随分高い。
入門の際、一人一人 の持ち物をチェックするので、大勢並んでいたが、外国人は並ばなくて入れる。
9:22 大門
近寄ってきたガイドが世話をしてくれたので、短時間で入門することができたのであるが、ここまで来たところでガイドさせてくれと頼まれる。(公認ガイドの資格がある)
ガイド費を聞くと1000Rsと高い。
「一人なのでガイドは要らない」と断ると、100Rsでも良いと言う。
しかし、申し訳ないが、一人で見学する事にした。

9:24

タージマハルはムムターズ・マハル(1595年-1631年、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの第1皇妃で、第6代皇帝アウラングゼーブの母) の墓
上のセンターが廟で、下のセンターが大門。

9:00
公園の入り口から、 タージマハルの入り口まで1Km程 あるので、電気自動車やら色々な乗り物がある。
が、歩いて行く人が多い。

外国人の入場券は750Rsと随分高い。
入門の際、一人一人 の持ち物をチェックするので、大勢並んでいたが、外国人は並ばなくて入れる。
9:22 大門
近寄ってきたガイドが世話をしてくれたので、短時間で入門することができたのであるが、ここまで来たところでガイドさせてくれと頼まれる。(公認ガイドの資格がある)
ガイド費を聞くと1000Rsと高い。
「一人なのでガイドは要らない」と断ると、100Rsでも良いと言う。
しかし、申し訳ないが、一人で見学する事にした。

9:24

2012年8月26日日曜日
2012年春旅行 61日目(アーグラー城)
2012年5月11日 晴れ
アーグラーは、 ワーラーナシーの西北西500Km、ニューデリーの南200kmに位置し、16世紀にデリーから遷都された事があり、当時に作られたアーグラー城砦とタージマハールは世界遺産。

0:11
昨夕、ワーラナシーからアーグラーへの夜行列車に乗ったが、途中の駅。

5:52
この写真には写っていないが、この後、田圃にしゃがんでいる人を大勢見かける。
客を連れてくると、 ホテルにからリベートがもらえるらしく、 この町のオートリクサーは、 指示していないホテルに勝手に連れて行き、先に入って行く。
「あんたに紹介されるホテルには泊まりたくない。宿屋が建ち並ぶ宿屋街まで行って下ろせ。」と言うが、次から次とホテルを回る。
アーグラーは、 ワーラーナシーの西北西500Km、ニューデリーの南200kmに位置し、16世紀にデリーから遷都された事があり、当時に作られたアーグラー城砦とタージマハールは世界遺産。

0:11
昨夕、ワーラナシーからアーグラーへの夜行列車に乗ったが、途中の駅。

5:52
この写真には写っていないが、この後、田圃にしゃがんでいる人を大勢見かける。

客を連れてくると、 ホテルにからリベートがもらえるらしく、 この町のオートリクサーは、 指示していないホテルに勝手に連れて行き、先に入って行く。
「あんたに紹介されるホテルには泊まりたくない。宿屋が建ち並ぶ宿屋街まで行って下ろせ。」と言うが、次から次とホテルを回る。
2012年8月24日金曜日
2012年春旅行60日目(バナーラス・ヒンドゥー大学、深い河)
2012年5月10日 晴れ
遠藤周作の深い河の舞台が何処だったかなあと思い、インターネットで調べていたら、なんとこの町がその舞台でした。
この町の名前はワーラーナシーまたはバナーラスですが、 かつて、日本ではこの町をベナレスと称しており、深い河の舞台ベナレスはこの町だったのです。
深い河のチャームンダー像のくだりを引用する。
「・・・・チャームンダーは墓場に住んでいます。だから彼女の足もとには鳥についばまれたり、ジャッカルに食べられている人間の死体があるでしょう。・・・彼女の乳房はもう老婆のように萎びています。でもその萎びた乳房から乳を出して、並んでいる子供たちに与えています。彼女の右足はハンセン氏病のため、ただれているのがわかりますか。 腹部も飢えでへこみにへこみ、しかもそこにはさそりが噛みついているでしょう。 彼女はそんな病苦や痛みに耐えながらも、萎びた乳房から人間に乳を与えているんです」
この チャームンダー像 がヒンズー大学の博物館にあるとの記事があったので、今夜の夜行列車でアーグーラー行きますが、昼間時間があるので、行ってみることにした。
5:20
朝、目が覚めると、窓辺にサルがいた。

ツアー会社に今夜のアーグラーまでの寝台車と3日後の アーグラー からジャルガオンまでの寝台車を頼んでいた。
それを受けとりに行くと、切符はは取れていると見せながら、コンファームするから夕方5時に来てくれと言う。
後で考えると、乗車券に書いてある価格に対してツアー会社が請求する価格が4,5倍するので、列車の発車間際に渡して、文句があっても追い出そうという魂胆で、切符の受け渡しを遅らしていたようです。
後で来るのは面倒だから、今渡せと言ってキップを取り上げると、次のような事でした。
切符の価格 ツアー会社の請求
ワーラーナシーからアーグラー寝台 169Rs 700Rs(4.1倍)
アーグラーからジャルガオン寝台 239Rs 1200Rs(5.0倍)
取り合えず1900Rs渡した後、あまりにもひどい話ではないかとねじ込んでいたら、1000Rs投げ返してきたので、それをもらって終わりにすべきだったのですが(これでもツアー会社が492Rsの儲け)、私が何を勘違いしたのか、それは貰いすぎだからと800Rs返したのです。
駅で並んで切符を買うのも大変ですが、妥当な ツアー会社のフィーは幾らかなのかなあ?
切符を受け取ってから、昼に何を食べようかと考えながら町を歩く。
遠藤周作の深い河の舞台が何処だったかなあと思い、インターネットで調べていたら、なんとこの町がその舞台でした。
この町の名前はワーラーナシーまたはバナーラスですが、 かつて、日本ではこの町をベナレスと称しており、深い河の舞台ベナレスはこの町だったのです。
深い河のチャームンダー像のくだりを引用する。
「・・・・チャームンダーは墓場に住んでいます。だから彼女の足もとには鳥についばまれたり、ジャッカルに食べられている人間の死体があるでしょう。・・・彼女の乳房はもう老婆のように萎びています。でもその萎びた乳房から乳を出して、並んでいる子供たちに与えています。彼女の右足はハンセン氏病のため、ただれているのがわかりますか。 腹部も飢えでへこみにへこみ、しかもそこにはさそりが噛みついているでしょう。 彼女はそんな病苦や痛みに耐えながらも、萎びた乳房から人間に乳を与えているんです」
この チャームンダー像 がヒンズー大学の博物館にあるとの記事があったので、今夜の夜行列車でアーグーラー行きますが、昼間時間があるので、行ってみることにした。
5:20
朝、目が覚めると、窓辺にサルがいた。

ツアー会社に今夜のアーグラーまでの寝台車と3日後の アーグラー からジャルガオンまでの寝台車を頼んでいた。
それを受けとりに行くと、切符はは取れていると見せながら、コンファームするから夕方5時に来てくれと言う。
後で考えると、乗車券に書いてある価格に対してツアー会社が請求する価格が4,5倍するので、列車の発車間際に渡して、文句があっても追い出そうという魂胆で、切符の受け渡しを遅らしていたようです。
後で来るのは面倒だから、今渡せと言ってキップを取り上げると、次のような事でした。
切符の価格 ツアー会社の請求
ワーラーナシーからアーグラー寝台 169Rs 700Rs(4.1倍)
アーグラーからジャルガオン寝台 239Rs 1200Rs(5.0倍)
取り合えず1900Rs渡した後、あまりにもひどい話ではないかとねじ込んでいたら、1000Rs投げ返してきたので、それをもらって終わりにすべきだったのですが(これでもツアー会社が492Rsの儲け)、私が何を勘違いしたのか、それは貰いすぎだからと800Rs返したのです。
駅で並んで切符を買うのも大変ですが、妥当な ツアー会社のフィーは幾らかなのかなあ?
切符を受け取ってから、昼に何を食べようかと考えながら町を歩く。
2012年8月22日水曜日
2012年春旅行59日目(サルナート)
2012年5月9日 晴れ
昨夜も4時間程停電があり、ACが使えず暑かった。
今日は、釈迦が悟りを開いた後、初めて説法をしたといわれるサルナートを見物。
仏教が広く布教できた理由を考えてみたが、やはり弟子達が優秀だったのでしょう。
・釈迦の説法に説得力があった。例えば死にそうな人に、「信仰すれば死なない等とは
言わず、死ぬ事は怖くない、極楽に行ける。」てな事を言ったのか。
・釈迦が長生きし、晩年まで呆けなかった。(享年80歳)
・富裕な地域で布教し、下層者から王族まで、広い層に帰依された。
・弟子達の布教集団が組織的で強力であった。
(教義の深化が的確であり、布教の組織力も大きかった。)
サルナートはワーラーナシーの北10Kmに位置するので、オートリクサーで行く。
オートリクサーは、日本のケイヨンよりも小さく、昔のミゼットと似たサイズの三輪車。
誰かが乗っているオートリクサーに便乗する時は、10RS払えば良いが、一人で乗るときは行き先を言って値段をネゴして決める。
大概は言い値の半額まで値切れるが、今回サルナートまで150Rs(210円)。

昨夜も4時間程停電があり、ACが使えず暑かった。
今日は、釈迦が悟りを開いた後、初めて説法をしたといわれるサルナートを見物。
仏教が広く布教できた理由を考えてみたが、やはり弟子達が優秀だったのでしょう。
・釈迦の説法に説得力があった。例えば死にそうな人に、「信仰すれば死なない等とは
言わず、死ぬ事は怖くない、極楽に行ける。」てな事を言ったのか。
・釈迦が長生きし、晩年まで呆けなかった。(享年80歳)
・富裕な地域で布教し、下層者から王族まで、広い層に帰依された。
・弟子達の布教集団が組織的で強力であった。
(教義の深化が的確であり、布教の組織力も大きかった。)
サルナートはワーラーナシーの北10Kmに位置するので、オートリクサーで行く。
オートリクサーは、日本のケイヨンよりも小さく、昔のミゼットと似たサイズの三輪車。
誰かが乗っているオートリクサーに便乗する時は、10RS払えば良いが、一人で乗るときは行き先を言って値段をネゴして決める。
大概は言い値の半額まで値切れるが、今回サルナートまで150Rs(210円)。

2012年8月19日日曜日
2012年春旅行58日目(ワーラーナシー、バナーラス)
2012年5月8日 晴れ
昨日泊まったゲストハウスは4階建ての民家で、1,2階は家主家族が住んでおり、3,4階にGestが入るという小さな宿であった。
聞いた話と違って、昨夜はWIFIも入らないし、エアコン(ファンの前に水を噴射する箱型の構造) も効かないので、午前中に別のゲストハウスに移った。
こっちの宿は、ACはまともであり、WIFIも繋がったのですが、夕方から4,5時間停電があり、WIFIは宿のルーターには接続できるものの、そこから先に接続できないという状況でした。
7:43
ゲストハウス探しで寄ったフジゲストハウスの屋上からの眺め。
(ここの近くの別のゲストハウスにしたが。)

午後散策に出かける。
15:16
この町はヒンズー教最大の聖地です。
この路地の近くに有名らしい黄金寺(ヴィシュワナート寺院)がありますので、時間帯によってはこの小さな路地は混みあうのですが、今は歩けます。
昨日泊まったゲストハウスは4階建ての民家で、1,2階は家主家族が住んでおり、3,4階にGestが入るという小さな宿であった。
聞いた話と違って、昨夜はWIFIも入らないし、エアコン(ファンの前に水を噴射する箱型の構造) も効かないので、午前中に別のゲストハウスに移った。
こっちの宿は、ACはまともであり、WIFIも繋がったのですが、夕方から4,5時間停電があり、WIFIは宿のルーターには接続できるものの、そこから先に接続できないという状況でした。
7:43
ゲストハウス探しで寄ったフジゲストハウスの屋上からの眺め。
(ここの近くの別のゲストハウスにしたが。)

午後散策に出かける。
15:16
この町はヒンズー教最大の聖地です。
この路地の近くに有名らしい黄金寺(ヴィシュワナート寺院)がありますので、時間帯によってはこの小さな路地は混みあうのですが、今は歩けます。

2012年8月18日土曜日
2012年春旅行57日目(ゴーラカブルからワーラーナシーへ)
2012年5月7日 晴れ
今日は、ゴーラカブルからワーラーナシー( ヴァーラーナスィー、
今日は、ゴーラカブルからワーラーナシー( ヴァーラーナスィー、
ワーラーナシーでは、東へ行くか西へ行くか南へ行くか決断する必要があるのですが、 今日は他ルートの選択肢がありません。
朝早く行って、買った乗車券は 60Rs(85円) だったので安いなあと思っていたが、乗車する時に見てみるとノンリザーブ席であった。
(切符を買って自由席に乗っている人はいないのだが。)
昨日、指定席が買えなかったは売り切れだったのだろう。(ローカル線の窓口の人には、英語を話さない人がいる。)
始発だったので座れて、6:30に発車。

7:35

7:38 ガンジス川

ヒマラヤ山脈の南麓を水源とし、ハリドワールで大平原へと出る。ここまでの約200kmがガンジス川の上流部である。
ここからは河口部まで急流もなく、北インドの平原地帯(ヒンドスタン平野の一部)を流れる。
イラーハーバードで最大の支流ヤムナー川と合流し、東へと向きを変えて北のヒマラヤ山脈や南のヴィンディヤ山脈からさらに多くの河川を集める。
中流域には網の目のように支流が走っており、さらにその支流から運河が各地に建設されて灌漑に利用されている。
ビハール州北東部にてデカン高原の北東端にあたり、そこからは南東へと流れを変える。ここまでの約2200kmがガンジス川の中流域であり、これより下流の約600kmは下流域とされる。
インド亜大陸がぶち当たってできた境目に、ガンジス川が運んだ土砂が堆積し、ヒマラヤ山脈と平行に走る大平原(ヒンドスタン平野) ができたが、この平原は豊かな穀倉地帯。
主要作物は米や小麦。その他にトウモロコシ、サトウキビ、綿花の栽培も多い。その結果として、この平野は世界で最も人口密度が高い地域の一つとされる。
イラーハーバードで最大の支流ヤムナー川と合流し、東へと向きを変えて北のヒマラヤ山脈や南のヴィンディヤ山脈からさらに多くの河川を集める。
中流域には網の目のように支流が走っており、さらにその支流から運河が各地に建設されて灌漑に利用されている。
ビハール州北東部にてデカン高原の北東端にあたり、そこからは南東へと流れを変える。ここまでの約2200kmがガンジス川の中流域であり、これより下流の約600kmは下流域とされる。
インド亜大陸がぶち当たってできた境目に、ガンジス川が運んだ土砂が堆積し、ヒマラヤ山脈と平行に走る大平原(ヒンドスタン平野) ができたが、この平原は豊かな穀倉地帯。
主要作物は米や小麦。その他にトウモロコシ、サトウキビ、綿花の栽培も多い。その結果として、この平野は世界で最も人口密度が高い地域の一つとされる。

最初は、座れていたのですが、ものすごく混んできた。
右側に一人掛けのシートが1列あり、通路を挟んで左側に5人掛けの長シートがある。
1人掛けには2人、5人掛けには7、8人位座っている。通路は歩けない。

2012年8月16日木曜日
2012年春旅行56日目(クシーナガル)
2012年5月6日 晴れ
昨日、インドに入国し、取り合えず列車でゴーラカブルに辿りついた。
何処に行くのか、何処に行きたいのか全くあても無くインドに入ってきた。
昨日列車の中で地球の歩き方を読んでいたら、釈迦が亡くなった町が近いと判ったので、今日はその町クシーナガルへ行く事にした。(日帰り)

釈迦は29歳の時、「病・死・老・衰」の苦しみをどう克服するか、人間の生まれながらに担っている苦悩をどう克服するか、その思索のため修行の道に入り、
ラージギル等各地で修業し、ブッダガヤーで悟りを開いたとの事。
サルナートで最初の説法を行った後、各地で説法を行う。
最後の伝道の旅の途次、クシナーガルで亡くなった。享年80歳位らしい。
(晩年、帰郷の念がつのり、ルンピニに向かっていた途中でに亡くなったとの話もあるが、そうであれば急いで帰るはず。この最後の伝道旅は各地で長く滞在しながら説法している。)
釈迦の聖地
より大きな地図で 釈迦の聖地 を表示
7時過ぎにゴーラカブルからバスで出発
7:33 バス代は37Rs(53円)

昨日、インドに入国し、取り合えず列車でゴーラカブルに辿りついた。
何処に行くのか、何処に行きたいのか全くあても無くインドに入ってきた。
昨日列車の中で地球の歩き方を読んでいたら、釈迦が亡くなった町が近いと判ったので、今日はその町クシーナガルへ行く事にした。(日帰り)

釈迦は29歳の時、「病・死・老・衰」の苦しみをどう克服するか、人間の生まれながらに担っている苦悩をどう克服するか、その思索のため修行の道に入り、
ラージギル等各地で修業し、ブッダガヤーで悟りを開いたとの事。
サルナートで最初の説法を行った後、各地で説法を行う。
最後の伝道の旅の途次、クシナーガルで亡くなった。享年80歳位らしい。
(晩年、帰郷の念がつのり、ルンピニに向かっていた途中でに亡くなったとの話もあるが、そうであれば急いで帰るはず。この最後の伝道旅は各地で長く滞在しながら説法している。)
釈迦の聖地
より大きな地図で 釈迦の聖地 を表示
7時過ぎにゴーラカブルからバスで出発
7:33 バス代は37Rs(53円)

2012年8月14日火曜日
2012年8月12日日曜日
2012年8月10日金曜日
2012年8月9日木曜日
2012年8月6日月曜日
2012年8月4日土曜日
2012年春旅行49、50日目 (ポカラ)
2012年4月29日、30日 晴れ
毎日晴れてはいるが、薄く靄がかかっており、アンナプルナ山群は 早朝には微かに見えるが、そのうちに見えなくなる。
山に入っても肝心の山が見えないのでは面白くないので、トレッキングを見合わせ、にポカラからでのんびりして様子を見ている。
蚊が部屋に入り込んでくるし、 WIFI が3階のが部屋まで届かないので、ロッジを替える。
カトマンズと同じく、ポカラも朝夕各3時間程、計画停電となる。
日本のように需給ギャップを大きく持つと停電は起こらないが電気代は高くなる。
時に停電を覚悟し、 需給をぎりぎりにすると、電気代は大幅に安くなるので一考である。
最初のホテルは 650Rs(650円)であったが、3日目からのホテルは500Rsで、且つ、こっちの方がWIFIも入るし、部屋の作りも良い。
毎日晴れてはいるが、薄く靄がかかっており、アンナプルナ山群は 早朝には微かに見えるが、そのうちに見えなくなる。
山に入っても肝心の山が見えないのでは面白くないので、トレッキングを見合わせ、にポカラからでのんびりして様子を見ている。
蚊が部屋に入り込んでくるし、 WIFI が3階のが部屋まで届かないので、ロッジを替える。
カトマンズと同じく、ポカラも朝夕各3時間程、計画停電となる。
日本のように需給ギャップを大きく持つと停電は起こらないが電気代は高くなる。
時に停電を覚悟し、 需給をぎりぎりにすると、電気代は大幅に安くなるので一考である。
最初のホテルは 650Rs(650円)であったが、3日目からのホテルは500Rsで、且つ、こっちの方がWIFIも入るし、部屋の作りも良い。
2012年8月2日木曜日
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