自己紹介

ローカルバスや汽車で移動し、現地の人が好む屋台飯を食べ、安いホテルに泊まる、お金をかけない旅行を楽しんでいます。 メジャーな観光地よりも、自然と人の暮らしが調和した山村や漁村の風景が好きです。 イソヒヨは磯で見かける鳥ですが、ブログのタイトルにした理由は特にありません。

2012年8月14日火曜日

2012年春旅行55日目 (マーヤー・デーヴィー寺院遺跡と国境越え(ルンピニからスノウリ、ゴーラクプル)

2012年5月5日 晴れ

昨日は入れなかったマーヤー・デーヴィー寺院遺跡を早朝に見物。

その後、バイワラに戻り、スノウリ国境からインドに入り、ナウタンワからゴーラクプルへは汽車で移動。


6:50
白い建物の中にマーヤー・デーヴィー寺院遺跡があります。
西面に接して、アショーカ王の石柱が立てられており、碑文にここで釈迦が生まれたと書かれているそうです。
004


白い建物の中の遺跡
011



周辺にも遺跡
007
008



下の標識には、”GROUP OE SIXTEEN STUPAS” と書かれている。
STUPASを辞書で引くと、「ストゥーパ,(仏)舎利塔 《神聖な遺物を納めた円形の供養塔; ★【比較】 日本の墓に立てる卒塔婆(そとば)はその音写」との事。
これは瞑想する為の円座かと思っていたが、仏舎利塔だったのだ。(?)
010


7:04
菩提樹
012


1896年 に発掘されたアショーカ王の石柱
この石柱の碑文に”にここが釈迦誕生地”と書かれていた訳だが、アショーカ王は釈迦が亡くなってから100年位後の人なので、その位であれば釈迦の記憶が残っていたかもしれない。
(釈迦(BC463-BC383)、アショーカ王の在位(BC268頃-BC232頃)  
016



7:11
018


001


002


宿に戻った後、バスでバイワラへ(45Rs)、タクシーでスノウリへと移動(100Rs) 

12:45
ネパールのイミグレーションオフィス
022

12:45
ネパール側のゲート
ネパール人とインド人はこの国境を自由に出入りできる。
023


インド側のゲート
025


ゲートは自由に通過できるので、2つのゲートを通ってインドに入って行く。

道路の両側は商店街。
インドのイミグレオフィスはそれらしい建物でなかったので、こっちは気がつかず通り過ぎたが、中から声をがかかり、入国手続きをする。
(ビザは日本で取っている。)

12:48
インドからネパールへ行くトラックの方が圧倒的に多い。
027


ここから、どこへ行くか決めていないが、とにかく汽車でどこかに行く事にする。

汽車駅までは、オートリク車で行くが、本屋の前で待っていた。

銀行or両替屋が近くにないかと聞くと、ネパール側にあるがこの辺りには無いとの事。

本屋の親父が両替してくれるというので、2000ネパールRsを渡すと、900インドRs 戻ってきた。
レートを聞くと、「100 ネパールRs =50 インドRs 」と言う。
「900Rsしかない。」と言うと、ニヤッと笑って100インドRsを渡しよる。

後で、インターネットで為替を調べてみると、「100 ネパールRs =62 インドRs 」 であった。
2000ネパールRs は、1500インドRs位にはなるはずだったのだが。

100ネパールルピア=100円
100インドルピア=140円


満員のオートリク車に10分程乗ってナウタンワに到着。 (20インドRs)


13:55
この突き当りが ナウタンワ駅舎
029

13:59
ゴーラクプル行きの乗車券を買おうとするが、窓口の男は英語を話さない。
紙に書いて渡すと、中から出てきて、ホームに連れて行き、ここに来る列車に乗れと言っているようだ。
こっちは、乗車券の事を気にしているのだが、話がかみ合わない。

(後で判ったが、ここから ゴーラクプル までは自由席しかなく、自由席は切符を買わずに乗る人が常態化しているので、駅員が切符は要らないから、ここにくる列車に乗れという事であったのだ。)
031

14:29
ここは始発駅で、14:40発のこの列車に乗り込む。
032

15:29 車窓の風景 (インドらしい)
034

17:08
2時間半かかって、 ゴーラクプル に到着。
035

切符は車内で買うのかと思っていたが売りにこなかったし、どうなのかなあと思っていたが、皆について出るとそのまま駅舎の外に出た。無賃乗車。


17:39
駅前のホテルに宿をとった後、ビールと肉料理を探して駅前を散策
ベジレストランばかりで、ビールも無い。
いよいよインドらしくなってきた。
037


038-001


038

0 件のコメント: