2011年3月12日
人の話し声で目が覚めたが、熟睡していました。
プーケットに近いスラタニから乗った人が、「時刻表のスラタニの発車時間は、1時間位遅れていた。」と言っていた。
時刻表でのスラタニの発車時刻は午前0:50です。
夜中に1時間待たされるのも大変だなと思っていたが、そういえば、昔、タオ島を夜出発(船)して早朝にスラタニに着き、夜明け前、相当待った後に、バスでプーケットへ行った事があります。
早朝と夜中に通過しただけですが、なんとなく懐かしい気がします。
「You are here」は、Padang Besarを示しています。
バンコクから走ってきたタイのディーゼルカー
具合が悪いのか長く停車した。
11:07(マレーシア時間)
さっきのホームから500m程走って、イミグレのあるホームに到着。
荷物を持って降り、左側の建物中で入出国手続きをして列車に戻る。
客車はタイから来たものであるが、牽引車はマレーシアのもの(KTM)に切り替えられる。
ここから向こうがマレーシア
11:38
14:16
15:00 バターワースに、1時間10分遅れで到着
クアルランプール行きのfirst trainは、8:00と15:30と23:00の3本がある。
15:30で行くとKULに夜10時5分に着き、宿探しがやっかいなので、今からペナン島を散策し、23:00の夜行列車で行く事にする。
この列車は明日早朝に、KULに着くので、その後、マラッカまでバスで移動する事にする。
15:36 フェリー乗り場(向こうがペナン島)
遠くに、マレー半島からペナン島(右)に渡る橋が見える。
フェリーの中(自動車はこの下)
左側のペナン島ジョージタウンに入港する予定なのか、停泊している船。
喫水が浅いので、荷は積まれていない。
ジョージタウン
クルーズ客船も寄港している。
大英帝国が繁栄していた頃の植民地であり、島全部がイギリス東インド株式会社のものであった。
欧米人にすれば、良き時代の思いが残っている街なのだ。
明日行くマラッカも世界遺産ですが、ジョージタウンのこれらの建物も世界遺産です。
建物に、1907、KASTAMと書いてありますので、1907年建立の通関だったのでしょう。
”EST.1897 CHURCH STREET PIER”
と書かれていますので、「1897年に作られた「チャーチ通り桟橋」
時計台とコーンウォリス要塞(左)
この辺りは、中華街かも。インド人が多い街もある。
17:00
マレーシアで有名なバクテー(肉骨茶)探し回ったが、何処にも無かったので、チキンライスを注文。
これはタイのカオマンカイと同じもので、鶏肉の茹で汁で炊いたご飯とチキンなのだ。チキンをご飯の上にのせていないが、まあ旨い。
18:00 釣れていない。
20:15
多くのマレーシア人から大変な災害だと声をかけられていたが、ネットカフェーで地震のニュースを見る。
ユーチューブで津波を写した動画を見たが、大変な災害で、涙が止まらない。
長岡科学技術大学を今年卒業し、まもなく入社式という人が横にきたので、少し話をする。
大雨が振ってきたので、雨宿りの為食堂に逃げ込む。
エビ焼きソバとカールスバーグ
未だ雨が止まないので、もう一つ別の焼きソバと野菜。
9時を過ぎると、本数も少なくなると言われたので、食堂を出たが、暗くなりのフェリー乗り場への道が判らない。
何人かに聞いたが、相当遠くまで来ているらしく(バクテーを探して歩きすぎた)、タクシーに乗った方が良いと諭されて、やむなくタクシーでフェリー乗り場にたどり着く。
乗船券の売り場が見当たらないので聞いたところ、ペナンからは無料なりとの事。(車も無料)
確かに合理的で、マレーシア人は賢い。
21:17
21:30 ペナン島を後にして、バターワースに戻り、22:30
バターワースを23時に発車する夜行電車で出発。満席でした。
KTMの掃除係は、汚いモップで床を頻繁に掃除している。
窓やらは汚いのでもっと色々掃除する所はあると思うのですが、同じ事ばかりやっておられるようでした。
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