自己紹介

ローカルバスや汽車で移動し、現地の人が好む屋台飯を食べ、安いホテルに泊まる、お金をかけない旅行を楽しんでいます。 メジャーな観光地よりも、自然と人の暮らしが調和した山村や漁村の風景が好きです。 イソヒヨは磯で見かける鳥ですが、ブログのタイトルにした理由は特にありません。

2011年4月9日土曜日

花粉回避旅行 13日目(ハジャイからバターワース、ペナン島)

2011年3月12日

人の話し声で目が覚めたが、熟睡していました。

プーケットに近いスラタニから乗った人が、「時刻表のスラタニの発車時間は、1時間位遅れていた。」と言っていた。
時刻表でのスラタニの発車時刻は午前0:50です。

夜中に1時間待たされるのも大変だなと思っていたが、そういえば、昔、タオ島を夜出発(船)して早朝にスラタニに着き、夜明け前、相当待った後に、バスでプーケットへ行った事があります。
早朝と夜中に通過しただけですが、なんとなく懐かしい気がします。

「You are here」は、Padang Besarを示しています。



バンコクから走ってきたタイのディーゼルカー
具合が悪いのか長く停車した。



11:07(マレーシア時間) 
さっきのホームから500m程走って、イミグレのあるホームに到着。
荷物を持って降り、左側の建物中で入出国手続きをして列車に戻る。
客車はタイから来たものであるが、牽引車はマレーシアのもの(KTM)に切り替えられる。



ここから向こうがマレーシア



11:38







14:16



15:00 バターワースに、1時間10分遅れで到着



クアルランプール行きのfirst trainは、8:00と15:30と23:00の3本がある。
15:30で行くとKULに夜10時5分に着き、宿探しがやっかいなので、今からペナン島を散策し、23:00の夜行列車で行く事にする。
この列車は明日早朝に、KULに着くので、その後、マラッカまでバスで移動する事にする。

15:36 フェリー乗り場(向こうがペナン島)



遠くに、マレー半島からペナン島(右)に渡る橋が見える。



フェリーの中(自動車はこの下)



左側のペナン島ジョージタウンに入港する予定なのか、停泊している船。
喫水が浅いので、荷は積まれていない。



ジョージタウン



クルーズ客船も寄港している。
大英帝国が繁栄していた頃の植民地であり、島全部がイギリス東インド株式会社のものであった。
欧米人にすれば、良き時代の思いが残っている街なのだ。



明日行くマラッカも世界遺産ですが、ジョージタウンのこれらの建物も世界遺産です。

建物に、1907、KASTAMと書いてありますので、1907年建立の通関だったのでしょう。



”EST.1897  CHURCH STREET PIER”
と書かれていますので、「1897年に作られた「チャーチ通り桟橋」



時計台とコーンウォリス要塞(左)














この辺りは、中華街かも。インド人が多い街もある。



17:00 
マレーシアで有名なバクテー(肉骨茶)探し回ったが、何処にも無かったので、チキンライスを注文。
これはタイのカオマンカイと同じもので、鶏肉の茹で汁で炊いたご飯とチキンなのだ。チキンをご飯の上にのせていないが、まあ旨い。



18:00 釣れていない。



20:15
多くのマレーシア人から大変な災害だと声をかけられていたが、ネットカフェーで地震のニュースを見る。
ユーチューブで津波を写した動画を見たが、大変な災害で、涙が止まらない。
長岡科学技術大学を今年卒業し、まもなく入社式という人が横にきたので、少し話をする。

大雨が振ってきたので、雨宿りの為食堂に逃げ込む。

エビ焼きソバとカールスバーグ



未だ雨が止まないので、もう一つ別の焼きソバと野菜。



9時を過ぎると、本数も少なくなると言われたので、食堂を出たが、暗くなりのフェリー乗り場への道が判らない。

何人かに聞いたが、相当遠くまで来ているらしく(バクテーを探して歩きすぎた)、タクシーに乗った方が良いと諭されて、やむなくタクシーでフェリー乗り場にたどり着く。

乗船券の売り場が見当たらないので聞いたところ、ペナンからは無料なりとの事。(車も無料)
確かに合理的で、マレーシア人は賢い。

21:17



21:30 ペナン島を後にして、バターワースに戻り、22:30


バターワースを23時に発車する夜行電車で出発。満席でした。

KTMの掃除係は、汚いモップで床を頻繁に掃除している。
窓やらは汚いのでもっと色々掃除する所はあると思うのですが、同じ事ばかりやっておられるようでした。

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