自己紹介

ローカルバスや汽車で移動し、現地の人が好む屋台飯を食べ、安いホテルに泊まる、お金をかけない旅行を楽しんでいます。 メジャーな観光地よりも、自然と人の暮らしが調和した山村や漁村の風景が好きです。 イソヒヨは磯で見かける鳥ですが、ブログのタイトルにした理由は特にありません。

2011年4月10日日曜日

花粉回避旅行 14日目(マラッカ)

2011年3月13日


昨夜バターワースを出た夜行電車はクアラランプールに早朝到着しました。
寝台ではなく普通席でしたが、満席でした。

7:33 地下なので暗いのですが、KUL駅のプラットホームです。





今回、海中写真を撮る為に買ったオリンパスの防水デジカメが故障しています。

デジカメは2つ持ってきましたので、通常の写真は撮れていますが、この後、シュノーケルでサンゴ、小魚、亀等写したいシーンが多数ありましたが、千載一遇の撮影チャンスを逃しました。

KL駅内にオリンパスの販売店があったので、見てもらったが、修理は無理でした。

駅内に、air asia があったので、インターネットで買ったKULからジャグジャカルタへの15日のフライトの確認をしました。

インドネシアからの出国便のチケットは買わないでインドネシアに入国するつもりであったのですが、つい、30日後のジャカルタからKULへの帰り便のチケットを買ってしまった。
*インドネシアの観光ビザ(到着時に発行)の期間は30日
*インドネシアに入国する時には出国用のチケット所持する事となっているが、観光ビザを申請する時に、インドネシアからの出国のチケットを見せろと言われた事がない。

案の定、この時に買ったこのチケットは利用しませんでしたので丸損でした。
air asia のフライト変更は、新しく買うのと同じくらいの費用(ペナルティ)がかかる。



構内のインフォーメイションでマラッカ行きのバス乗り場を聞き、KLから3駅目のBandar Tasik Selatan(バンダル・タシク・セラタン)に向かう。

今年できたバス発着場で、南方方面の長距離バスはここから出るようになった。

KULの電車路線図
http://blog-imgs-27-origin.fc2.com/m/a/l/malaysiaboleh/network2005_monorail.jpg


10:16 
右側の建物が、バス発着場(Terminal Bersepadu Selatan)




マラッカへは、アブラヤシの山林を1時間ばかり走ります。

アブラヤシは大きさが4~5cmの小さな実が一つの果房に数百個つきます。
アブラヤシから採れるパーム油の生産量は、大豆油に匹敵する量で、食品、化粧品、石鹸等に使われています。
花王は、パーム油を利用する工場がマレーシアにいくつかあります。



14:10 マラッカ


マラッカとペナン島は、2008年にマラッカ海峡の歴史的都市群」として、世界文化遺産に認定されましたが、マラッカの歴史は盛りだくさんです。

マラッカ王国成立(1396)
イスラム教導入
ポルトガル植民地(1511)
イエズス会布教(1500年代、セントポールチャーチ等)
オランダの植民地となる。(1641)
英蘭協定でイギリス領となる(1824)
日本軍の占領(1941)
イギリスの占領復活(1945)
マレーシアの完全独立(1957)


バクテー(肉骨茶)の店を見つけました。




肉骨茶という露骨な名前の料理を初めて食べましたが、豚肉と油揚げと少々の野菜を漢方薬のスープで煮た土鍋料理でした。

漢方の臭いと味がかすかにするのですが、ぼやっとした薄味のシンプルな食べ物で、不味くはないが、世の中にはもっと旨いものが沢山あるのに、といったところが感想でした。

おそらく、漢方薬が不味いので、肉をいれて飲み易くしたというのが原点の食べ物だと思います。




口直しに、隠元マメの炒め物を注文して、カールスバーグを2缶飲みました。



この辺りはマラッカ湾を埋め立てて作った競技場があったそうだが、ダタランパラワンという新しいショッピングセンターができた。その横に未だ広い敷地が残っているが、公園にするのだろうか?







ファモサ要塞(サンチャゴ砦)近くが昔の海岸線だったらしく、ポルトガル軍、そして2代目の支配者オランダ軍が建設した護岸や排水溝の史跡が見つかったが、ごく一部を残して埋め立てた由。



マレーシアの人力車は自転車が横に付いていますが、旋回しにくいと思いますが、まあ、遠くまで走るわけでもないのでこれでいいのでしょう。

趣味の悪い造花を付けていない人力車があってもよさそうに思うのですが、みんな付けているところを見ると、観光客がマラッカ記念(写真用)乗る為のもので、本当の移動に使われるものではないのでしょう。



独立記念博物館
(イギリス植民地時代に将校たちの社交を目的とした「マラッカ倶楽部」の本部として1912年に建設され、1956年の独立時に譲渡された。)



ファモサ要塞(サンチャゴ砦)
ポルトガル人によって、海岸線に沿って建てられた城壁を守るための砦。
この頃は炸裂しない鉄球砲弾ですが、この程度の大砲であればこの石壁は崩れなかったのでしょう。







丘の上に立つセントポール教会礼拝堂史跡(1521年建立)
ザビエルが中国で亡くなった後、遺体が9ヶ月安置されていた。




マラッカ海峡方向
展望室が、回りながら上昇する展望塔(110m)



クライストチャーチ(オランダ人が1753年に建立)

オランダがポルトガルを駆逐しマラッカを占領した100周年の記念事業として作られた。
その後、イギリスがマラッカを占領した時に、セントポール教会からキリスト教会に名前が変わった。



ビクトリア女王噴水(1904年)
プレートに、「女王を偲んでマラッカ市民が建造と」



オランダ広場の前の橋から撮ったマラッカ川上流方向


マラッカ川下流方向



こんなゆるい流れの川に、大きな水車を置いても回らないが、何の為の水車か?
(後で、向こう岸に渡り説明文を見てきました。後述)



当時の船は、本当にこんな船だったのか?
(横波、横風ですぐ転覆しそうだが)



チャイナタウン




カ ンポン・クリン・モスク(Kampung Klling Mosque 1868年)

ドーム型のモスクとはひと味違うが、マラッカに住むインド人イスラム教徒が建立。
ミネラットと呼ばれる塔からお祈りが響き渡る。



チャイナも負けていない。
中国以外の国で、こういった中国人のお寺をを良く見かける。
日本人を含め他の国の人は、出てきた国の宗教やお寺にあまりこだわらないが、この点、中国人の拘りは強いと思う。



この日は、中国人の祭りであったらしく、旗やら楽団やら獅子舞のパレードが続いた。









あの水車は、やはりモニュメントで、回り続ける水車は、人の輪廻(wheel of life) と文明の革新(evolution of man's civilization)をシンボライズしているそうです。



夜は、自分で好きなものを取ってレジで見せると値段を付けてくれる皿飯で、黒ビールは高かったが、皿飯は安い。
たまには、インド料理を食べたいが、ビールを飲めないので、やはり中国人の店になります。

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