自己紹介

ローカルバスや汽車で移動し、現地の人が好む屋台飯を食べ、安いホテルに泊まる、お金をかけない旅行を楽しんでいます。 メジャーな観光地よりも、自然と人の暮らしが調和した山村や漁村の風景が好きです。 イソヒヨは磯で見かける鳥ですが、ブログのタイトルにした理由は特にありません。

2012年6月19日火曜日

2012年春旅行 8日目(岳陽楼そして長沙へ)


2012年3月19日 曇り時々雨

昨晩は強い雨が降っていたが、今朝は止んでいる。
しかし、曇り空で時に霧雨となる。

宿は、洞庭湖、岳陽楼の近くであったので、早朝に湖畔の船着場まで降りてみた。

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現在の水面は、湖岸より30m近く下がった位置にあった。

洞庭湖の面積は、通常期は琵琶湖の4倍。7月8月は通常期の3倍に広がるという。
だが、最近どんどん面積が小さくなり、水深が浅くなっているとも聞く。

霧で霞んでいるが、結構大きな船が頻繁に行きかい、風情がある。



岳陽楼の入場料は80元(1060円)、ちと高い。

唐代に出来たはずだが、今の主楼は1880年に建てられている。

軒先の反り返り、傘状の屋根、黄色の屋根瓦に特徴があります。
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高校の漢文で習った杜甫の”登岳陽楼”が有名ですが、多くの詩人がここにきて歌を読んでいる。

主楼の三階に毛沢東が書いた”登岳陽楼”が展示されています。
練習もせず、いい加減にササーと書いた書ですが、誰にも文句を言わせないという自信に満ちた書体ですね。
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登岳陽楼    杜甫

昔聞洞庭水 今上岳陽楼
呉楚東南圻 乾坤日夜浮
親朋無一字 老病有孤舟
戎馬関山北 憑軒悌泗流


昔聞く洞庭の水、
今登る岳陽楼。
呉楚東南にサけ、
乾坤日夜浮かぶ。
親朋一字無く、
老病孤舟あり。
戎馬関山の北、
軒に憑れば涕泗流る。


漢詩は若者が作ったものではなく、年寄りが年寄りの哀愁を歌ったものが多い。
そんなものが、高校生に感動を与えるはずがないと思うのですが、50年近く経っても記憶に残っているという事は不思議です。
この詩の力と言うよりも、むしろ漢文を教えてくれた先生の思い入れか情熱に感化を受けたような気がします。

その先生は時代に恵まれず、岳陽楼には登れなかった。

帳家界行きのバスは長途バス駅か火車駅のバス駅から出ているはずというので、10時に宿を出て、とりあえず火車駅までバスで行く。(1元)
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ところが、帳家界行きのバスはないし、火車も途中の長沙行きが17時頃にあるだけ。

さてどうするか、思案をしながら歩く。

声をかけてくるバスの呼込み屋に”帳家界”といっても、何かごしゃごしゃ言っているが、強い反応はない。

長沙行きのバスの呼込み屋に”岳陽→長沙→帳家界”と書いて見せると、それが良いというしぐさをするので、そいつの車に乗る事にした。50元。
バスではなく、運転手も入れて9人(3列*3人)乗りの車であった。
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2時間で長沙の火車駅に着いた。
ここからだと帳家界へは火車もバスもある。
火車は今夜23時頃のがあるが、帳家界には3時頃に着くことになるので、明日の朝7:40に出る火車の乗車券を並んで買った。

(日本では、3人以上並んでいたらその後ろには絶対に並ばないが、ここでは並ぶこと意外にする事もない訳で、何の抵抗もなく並べるようになってきた。)

中国では、窓口で切符を買う時には、身分証名書(パスポート)を見せろという。
上海で自動販売機で買った時は身分のコードを入力しなかったが、あれは近距離だけか?
しかし、今日の長沙ー帳家界もたった55元の距離だが。

次は、小雨降る中の宿探し。
客引きが多いが、自力で歩いて適当に決めた。
ネットができるシングルルームで88元。ちと古いがまあ良い。

路上で売っていた焼き餃子が安くて旨かった(日本の餃子より少し大きいものが9個で3元(40円))

土鍋飯(小さな土鍋で米を炊き、炊きあがる直前に各種の味付けした具を乗せたもので、具は唐辛子とばら肉をあまがらく炒めたものを注文した。意図して注文出来たわけではなく、でたらめに注文したらこれだった。)も15元(200円)と安く、ボリュームもあり、旨かった。
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